1087日目・・・「アーカンソー」・・・????・・・「あかんぞぉぉォ、ッ!」・・・「辣(ラツ)→辛辣(シンラツ)」、「埒(ラチ)が開かん」・・・「馬場の周囲に巡らした柵」・・・阿寒、開かん、空かん、飽かん、厭かん、明かん・・・「拉致(ラチ)は厭(あ)かん」、「厭=いやだ=嫌だ=否だ=揖屋だ」、「厭(エン・オン・あきる・いや)」・・・あかん (連語)・「埒(らち)明かぬの略」→埒が柵なら「明」ではなく「開」か「空」だろう・・・「主に関西地方で用いる・物事がウマくいかない」、「それをしてはならない・駄目だ

 「辛辣(シンラツ)」の「辣(ラツ)」・・・「辛」+音符「束(剌の略形)」、「剌」は、「柴(シバ)の束を刃物で切るときに枝などがびしっと跳ね返る様」、「からい・舌に刺すような辛味・辣油·情け容赦がない・辣腕・ 辛辣・悪辣」・・・「ピリリと辛い」・「辛辣=きびしい・むごい」・・・「辣腕」・「悪辣」・「辣油(ラーユ)」・「辣韮(らっきょう)」・・・
 ・・・「唐辛子の舌がヒリヒリするような辛さである「辣味」(らつみ、ラーウェイ)と、「花椒」の舌が「痺(しび)れる」ような辛さである「麻味」(まみ、マーウェイ)の二種類の異なった「辛さ」により構成される。
 中国語で「麻味」というと
 日本語の「辛い」を意味し、
 「唐辛子」の舌がヒリヒリするような辛さである「辣味(らつみ、ラーウェイ)」と、
 「花椒」の舌が痺れるような辛さである「麻味(まみ、マーウェイ)」の
 二種類の異なった
 「からさ」により構成
 中国語で
 「麻味→麻痺」と
 「辣味→辛味」とは
 区別される。
 ・・・辛苦艱難・・・シンクカンナン→新句刊(巻)納・・・
 「あかんたれ」
 関西方言
 「あかん」+「ばかたれ・アホたれ」
 「目前の人を罵る際に使われ、駄目な人(意気地なし・弱虫など)と罵倒する言葉」・・・「蛙(ア・かえる・かわず)→河図・河圖」・「(鴉=ア・エ・からす→辛子・芥子・香良洲・漢諏、漢州・韓主、韓州)諫→変える奸(よこしま・邪・姦・漢)」・・・
 「蛙の面にションベン(小便)」・・・「どんな仕打ちをされても、何も感じず平気でいること」の説明には「カエルが自覚してのコト」なのか、「カエルが無自覚でのコト」なのかが、欠落している・・・ナ、ッ・・・「深い井戸の中の蛙(かわず)」は「空の蒼(あお・阿保)」ばかりではなく、昼間も星を観察できる・・・?・・・
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 アメリカ原住民→「インデアン=印度人」ではナカッタ
 「アーカンソー
 カンザ族と近縁の
 クアポー族 (Quapaw) の言葉で
 「下流の人々の土地」を意味する
 「アカカズ」(akakaze)、
 あるいは
 スー族の言葉で
 「南風の人々」を意味する
 「アカカズ」(akakaze)を
 フランス語風に発音したのが
 アーカンソー("Arcansas")
 アーカンソー
 発音については、州選出の
 2人のアメリカ合衆国上院議員の間で、
 片方が
 「アーカンザス」( /ɑrˈkænzəs/ ar-kan-zəs)を主張
 もう一方が
 「アーカンソー」( /ˈɑrkənsɔː/ ar-kən-saw)を主張
 1881年の州議会立法で公式に
 「アーカンソー」と決定。
 「カンザス」は、この地に先住したインディアン部族のカンサ族に由来し、州内を流れるカンザス川に名付けられていたものが州名になった。
 部族名
 「カンサ」は
 「風の民」あるいは
 「南風の民」を意味する・・・「風の谷のナウシカ」・・・?・・・、「オズの魔法使い」で、主人公の「ドロシーの故郷」・・・?
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 アーカンソー州となった地域を最初に訪れたヨーロッパ人
 フランシスコ・ピサロ
 ペルーを征服した時の
 軍人である
 スペイン人探検家
 エルナンド・デ・ソトであり、
 金と中国への道を探してほぼ
 1年間アーカンソー南部を探索した後、
 1542年に
 ミシシッピ川沿いの現在の
 レイクビレッジ近くで死亡
 ミシシッピ川下流に住んでいた
 クアポー族インディアンを
 イリノイ族 (Illinois Confederation) が呼んでいた
 言葉から音を借りて、
 アーカンソーという名前を付けた
 アーカンソーは、
 1803年に
 アメリカ合衆国
 ナポレオン・ボナパルトから
 買収したルイジアナ領土の一部
 1819年
 7月
 4日に
 アーカンソー準州
 1836年に
 合衆国
 25番目の州
 13番目の奴隷州として州昇格
 アーカンソーは、
 テキサスが
 メキシコからの独立を果たした戦争で、部隊や物資を送って重要な役割を果たした。
 州内 (ワシントン市) はテキサス国境に近く、
 1835年〜1836年の
 テキサス革命に巻き込まれた。
 1834年に
 サミュエル・ヒューストンやその同調者が、
 ワシントン市の酒場で革命の計画を練った
 戦争が始まると、
 アーカンソー州など
 南東部州の志願兵がこの町を通って
 テキサスの戦場に向かった。
 1846年に
 米墨戦争が始まると、
 ワシントンは志願兵の集合地点になった。
 州知事
 トマス・S・ドルー (Thomas Stevenson Drew) は
 州内で
 騎兵1個連隊と
 砲兵1個大隊を立ち上げ、
 アメリカ陸軍に加えると声明
 10個中隊が纏められ、
 アーカンソー
 騎兵第1連隊に繰り入れられた。

 ミシシッピ・デルタの東部
 綿花文化が発展
 農園主が連れてくるか、
 アッパーサウスの諸州から輸入した
 奴隷を大々的に使った
 南北戦争開戦前の
 1890年、
 州内には
 111115人の奴隷
 州人口の
 25%を超えていた
1861年初期、
 湾岸の州は揃って合衆国から脱退したが、
 アーカンソー州が脱退したのは、
 サムター要塞の戦いに続いて
 エイブラハム・リンカーン大統領が軍隊招集を呼びかけた後になってから、
 1861年5月6日
 南軍の
 パトリック・クリバーン少将
 「西のストーンウォール」と呼ばれた
 元連邦議会議員だった
 トマス・ハインドマン少将が、
 州
 北西部で起きた
 ケインヒルの戦い (Battle of Cane Hill) と
 プレーリーグローブの戦い (Battle of Prairie Grove) で南軍を指揮

 1905年〜1911
 ドイツ人、スロバキア人、アイルランド人移民が少数ながら入ってくるようになった。ドイツ人とスロバキア人はプレーリーと呼ばれた州東部に入り、アイルランド人移民は南東部に小さな地域社会を作った。
 ドイツ人は大半がルーテル教会員であり、
 スロバキア人はカトリック教徒だった。
 アイルランド人はアルスターのプロテスタントが多かった。

 1954年、「ブラウン対トピカ教育委員会事件」に対するアメリカ合衆国最高裁判所判決が出た後、州都リトルロックで高校での人種差別撤廃を求めたアフリカ系アメリカ人生徒を保護するために連邦政府が干渉した、いわゆるリトルロック・ナインが全国の注目を集めさせた。オーバル・フォーバス州知事は州軍に命じて、9人のアフリカ系アメリカ人生徒がリトルロック中央高校に入るのを阻止する人種分離主義者を助けるよう仕向けた。ドワイト・D・アイゼンハワー大統領はフォーバス州知事と3度接触を試みた後、現役任務の
 第101空挺師団から
 1000名を派遣して、
 9人の生徒が
 1957年9月25日に高校に入学するのを護衛するよう命じた。合衆国裁判所が人種統合を行うよう命令を出したことに対抗して、知事とリトルロック市は、その学校年の残り期間高校を閉鎖することを決めた。
 1959年秋までにリトルロック市の高校は完全に人種差別を撤廃した(リトルロック高校事件)。
 1992年、民主党
 ビル・クリントンがこの州出身者として初めて大統領に選出された。
 クリントンは州内ホープ市の生まれであり、
 第40代および
 第42代州知事を合計
 12年間務めた
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 原文
アーカンソー州 - Wikipedia
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