733日目・・・モウ、3日ですか・・・早いなッ、昨日は「メイドインジャパン・仰天地図バラエティー」、夜にはNHKの「ダーウインがきた」や「北斎・幻の海・パリで発見!千絵の海伝説の傑作・完全復刻」、「池上彰の世界を見に行くSP」をみたけれど・・・現在の「日本」はそんなに捨てたもんじゃぁない、とは思うけれど、今現在、NHK教育(3日12時40分)の「地球ドラマチック選・スーパーコンチネント2億5千年後の地球の姿は?」を見終わって、人類も地球も宇宙時間のスパンからみたらホンの一瞬、ましてや個々人の生きている時

 「日本国人一般」も、「日本国家の特殊、個別的なリーダー」であるらしい「政治屋・官僚屋・裁判屋」も、「日本国憲法」が目指す「国家意志の枠」を破る発想はなく、「日本国支配階級代理人としての富強、誇り」、「島国日本人の未来」として頑張ってイキタイらしい・・・「不況、埃」は世界的規模だけれど・・・日本地域住民の一般個々人の意識も、別な意味で、地球の住人、宇宙の住人って発想が薄れていっているらしい。「日本国人のホコリ」でもイイけれどね・・・「太陽系、大銀河、宇宙共栄圏」は元々が「宇宙塵」から形成され、「運命共同体」なんだけれども・・・宇宙の線引き、国境、境目、その枠内でも「階級序列」をつくって「共に栄える」ってことは無理、無理、ムリ・・・それに「カネの流れ」と「カネの蓄財」を「一個人、一人間の血流循環と心臓ポンプ」に例えてしまうから「問題」なんじゃないかいな・・・「人間の臓器の分配システム」・・・「人間社会」を内包した自然界の「循環法則性」は厳しいけれど、「サンデル教授」が何かをいって「白熱」させようとも「人間社会の生産・管理・分配・交易・蓄財・投資」、初源的には「政治経済法則」はその「自然の循環法則性」のプロセス部分の「厳しい一過性=飢饉・疫病・災害」から解放されたく、それに逆らって、「協同体(協働体)の生産技術力」として「変則」させてきたんだから・・・だがその「変則」は、「階級社会としての偏則」になってしまった。「協同体(協働体)」としてではなく、「私有財産の多寡=階級・階層分裂=格差社会」になってしまった・・・地球規模の社会「協同体(協働体)」としての「カネ=交換手段・蓄財手段」に代わるモノって、あるのかな・・・「カネの機能」も人間が考え出した「意識的な手段」だから・・・アルさッ・・・まずはスーパーコンピュータで地球規模のあらゆる「生きている人間の衣食住」が安定する「生活財の需要供給」を「儲けなし・利潤なし・利子なし」のシュミレート計算をしてみればいいのさ。地球規模での「需給情報網と需給情報の数字」が「交換手段」である。利潤追求の「情報交換」は今現在、地球規模でやっているけれど・・・資本主義的生産の「資本」は「剰余の社会的総労働の一部」で「投機的=博打的=損得」として投資されるのだから「博打としての情報」を無くせばイイ・・・その「社会的剰余労働の管理分配」を地球規模でヤレバイイ・・・競馬、競輪、パチンコ、宝くじ、福袋、オマケ、博打好きで、「儲け、得」を追求する社会の人間にはムリかナッ。でもギャンブルは損得である。相場は胴元が儲かる仕組みだからね・・・「損得」って、「総労働の剰余部分の部分」の「総計・合計」だから、「エネルギー保存の法則」と同じで、全体的には「増減」はしない。ダレかの「増=得=儲け」と、ダレかの「減=損」でしかないからね。儲けたカネはどうするのかな成金・・・それに、損得が無い社会って面白くもないか・・・「意識の問題」だョ、なッ。
 「モンテスキュー」も「マキャベリ」も時代的な「支配階級」の人間諸関係で起こされる「事件・事実」を「観察・推理」し、その「人間の意識と行動」を的確に分析していたとは思うな。まずは「人間」って「このような動物なんだ」ってさ。そして状況に応じては「こうあるベキ人間」になった方がイインジャない、って。
 以下、「モンテスキュー」の「ローマ盛衰原因論・第18章・ローマ人の採用した新しい原理」からの抜粋・・・
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 時折卑劣な皇帝もおり、しばしば帝国も無力になったため、侵入のおそれののある諸民族を金で買収して鎮圧しようとつとめた。しかし平和というものは金であがなえるものではない。それは平和を売ったものは、さらに平和を買わせることができるからである。
 平和を得るためには、金を支払うより不幸な戦争をする危険をおかすほうがよいのだ。というのも、ある君主が長い間抵抗した挙句のはてでなければ征服されないことがわかれば、かならず尊敬を受けるからである。
 さらにこの種の報酬は貢納にかわった。貢納もはじめは自由であるが、やがて義務的なものになった。報酬もこうなると既得権とみなされるようになった。ある皇帝がいずれかの民族に報酬を拒絶でもするか、減額でもしょうとすれば、その民族は宿敵となるのであった。多くの事例のなかで、ユリアス帝がペルシャ人にたいして指揮した軍隊は、退却のときアラブ族に追撃されたが、それはユリアス帝が慣例となっていた貢納をアラブ族に拒絶したからである。その直後、ウァレンティニアヌス帝時代、アラマニ族はいつもより少ない贈り物を受けたために激怒したわけである。これら北方民族はすでに名誉を重視して支配されていたので、このいわゆる侮辱にたいしては残忍な戦争でローマに報復した。
 ヨーロッパ、アジアにおいて、ローマ帝国をとりまくこれらのあらゆる民族は、しだいにローマ人の富を吸収していった。ローマ人は過去において、あらゆる王の金銀が自分たちの手元にもたらされたために発展したが、こんどは自分たちの金銀が他の民族にもたらされるために衰退していくのであった。
 政治家たちのおかす失策は必ずしも自由意志でおかすものではなく、しばしば政治家のおかれた状況の必然的帰結であり、支障が生じていくのである。
 すでに見たとおり、軍隊は国家にきわめて大きな負担となっていた。およそ兵士は3つの利得を持っている。それは平常の給料、勤務終了後の報酬、臨時賞与である。この最後のものはたいてい人民と君主を手中におさめた人々の権利となった。
 しかし、これらの負担の支払いが不可能になったので、もっと安い軍隊を採用することになった。そこで蛮族と条約を結ぶわけだが、蛮族はローマ兵の贅沢さも知らず、彼らと同じ気力も自負心ももたなかった。
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 ・・・過去も現在も、「帝国」のプロセスと末路はお変わりないようである。
 紐育(ニューヨーク)に埋没しているのに・・・