726日目・・・昨日はIさんに同伴してもらってイカレたコンピュータの代体を中古で6000円で買った。出費が多いな。取り敢えずは彼にセッテングしてもらい、CPは順調に機能してくれる。彼に感謝します。夜にはこのビルのオーナーご夫婦の会社の従業員、関係会社従業員の合同忘年会への参加だった。もう、クリスマス、大晦日、来年まで一週間あまり、光陰矢のごとし・・・今日は休日、王様の誕生日ですか。ボクの友人も12月23日だったけれど・・・本当に王様自身、誕生日なのにも彼は休む暇もなく多忙で、そして、お言葉も民を思う「民

 前回も記したが「証言・日本占領史・GHQ労働課の群像(岩波書店)」は面白いと思うよね、また抜粋するけれど、当時の占領アメリカ軍・GHQスタッフの証言。ボクは「ボス」ってヤクザ映画に出てくる「悪いボス」と「イイボス」しか知らなかったんだけれども。「なんの恨み、辛みも御座いやせんが、一宿一飯の義理があってお命頂戴いたします」ってさ、昨今の「殺人事件」には「一宿一飯」でお命頂きますって奴はいないようだ・・・でも、「人材派遣会社」・・・日本社会の伝統文化(?)は「労働ボス社会」かも・・・255ページには、
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 労働ボス制度根絶への挑戦
 竹前
 つぎに、GHQが懸命に挑戦したが失敗したといわれる「労働ボス」(労供ボス、または労務供給事業を行うボス)の排除と根絶の問題について、お話し願えませんでしょうか
 マッケボイ
 労働ボス制度の起源はイタリアのパトローネ・システムにあると思います。これは19世紀にアメリカ西部の開発や工業化のために、南ヨーロッパから季節労働者として移住して来た労働者の供給慣行に見られます。これらの労働者は労働ボスにとって供給され、強制労働や年期奉公、あるいは季節の必要に応じて働かされました。しかしこれらの慣習は人権と無視するものとして立法で禁止され、その機能は職安によってとって代われました。労働ボス制度は欲しい時に必要な量の労働力を得られるという点で経済的・効率的であり、利点があったし、労働者にとってもじぶんで雇用主と直接契約するよりも労働ボスを通して職や労働条件の交渉する方が楽であるという利点もあったのです
 竹前
 そうですね。だからアメリカなどではとっくに消失した制度が日本では占領軍がやってくるまで問題にならなかったですね
 マッケボイ
 日本ではアメリカに較べて労働ボス制度がもっともっと深く社会や経済の中に根を下ろしていましたね。それは中世以来の封建的関係、つまり地主と小作人との関係が社会制度全体の中にしがらみとなって残っていたからです。それは商工業の慣行の中にも見られました。たとえば18世紀の大阪の金貸業に見られるように、丁稚からスタートして20年間勤め上げて番頭となっても、雇主との関係は以前として従属関係あったわけです。これが労働ボス制度に非常に共通するものだったのですね。また前借金と賃金との相殺なども封建的慣行の表われでしょう。とにかく労働ボスが子分に食住、医療関係を保証してくれたり、そこから逃げ出せそうとする子分にリンチを加えるなどはシシリーのギャング組織にそっくりでした。
 
 労働ボスの理論と性格

 竹前
 労働ボスの社会学的に見て生成の背景なり基礎はどのへんにあったのでしょうか。
 マッケボイ
 労働ボスの生成の理論なりパターンは3つあります。その第一の理論は土建業とか沖中仕の分野では企業はグループ、ないし組単位で仕事をしてもらう必要があり、各グループの代表者がグループ員の労働条件について雇主と交渉し、給料をまかせられた。この代表者が労働ボスになったというものです。
 第二の理論は労働ボスはギャンブルにその起源を持っているというのです。つまりギャンブラー(博徒)は強固な団結力を持つ子分を従え、雇主に日雇労働者を供給することによって、金儲けになる新しい不正手段を探したのです。労働ボスたちはしばしばギャンブル、売春、救済にかこつけた不正、闇市その他うしろ暗い行為と結びついていました。労働ボスと子分の関係は脅迫者と彼の従犯者の関係にとても似ていたのです。
 第三の理論は一人の指導者の家父長主義的支配の下で組織された労働者からなる日本的家の思想に由来するものです。つまり労働ボス制度は組合がヨコの関係であるのに比して、タテ、あるいは上下の関係といえます。労働ボスの権限は法によるものではなくて慣行に由来するものでした。とにかく労働ボスは生産のために労働者を組織し、彼らに一応住居や医療などの福祉と安定を提供したのです。その代わりに、労働者から賃金のピンハネ(中間搾取)をしたのです。ときにはひどいピンハネをしていました。したがって労働ボスは家父長主義的保護を子分たちに与えながら子分たちの職業選択の自由や、私的生活をコントロールしていたのです。父子の契り、兄弟の契りを結んで100%彼らを護ってやるという封建関係です。それは一種のネボティズム(縁者びいき)ともいうべきもので、日本の伝統、義理、恩恵主義や「親分子分」関係と深く結びついていたものです。そこには国連の人権宣言で述べられているような権利とか、アメリカの労働者のような賃金や労働時間についての要求はほとんどあいませんでした
 ・・・略・・・
 マッケボイ
 そうです。たとえば横浜地区では、一人の労働ボスが港湾労働者や土建労働者を支配し、ひとつの帝国を築いていました。彼はまた競輪、競馬、その他のギャンブル、売春を一手に仕切っていました。彼は雇主と労働者の両方から金を取っていたので「タコのような巨大企業家」と呼ばれていました。この縄張りに喰い込むことは非常に難しく、危険を伴ったのです。また、彼は神奈川県の有力な「政治屋」でもありました
 ・・・略・・・
 マッケボイ
 いわゆる「何々一家」とよばれ日本の主要な港の全労働者を支配した労働ボス(組長)は三人いたと思います。

 GHQの初期方針

 竹前
 労働ボスの排除については労働諮問委員会報告でも勧告がなされていますが、GHQ労働課はどのような具体的措置をとったのですか
 マッケボイ
 まず戦前と戦時の労働ボスの機能を分析することから始めました。我々の戦時中の労働ボスの役割を分析し、非軍事化との関連で政策をたてることにしました。ご存知のように労働ボスは戦時中、日雇労働者の動因に大きな役割を果たしました。産報・労報運動が盛んになったときも、労働ボスたちは国の機関に組み込まれ、大活躍をしたのです。ところが、戦局が急迫したとき、労働ボスも子分たちも徴兵され、彼らに代わって朝鮮人、中国人、俘虜、学徒、女子挺身隊などが動員されました。
 戦争が終わると労働ボスたちは再び戦前のように活動を始め、戦後の状況にうまく調子を合わせているのをわれわれ占領軍は知ったのです
 竹前
 それは占領軍要員の調達能力において日本政府の労働ボスほどの力量を持っていなかったことにもよるのではないでしょうか
 マッケボイ
 その通りです。占領のごく初期の間、われわれは必要悪として占領軍向け土建、配給・輸送などの基本的サービスの分野で、労働ボスの存在を一時認めました。1946年の中頃まで、佐世保アメリカ海軍施設の日本人労働者が何千人も供給されのは労働ボスの手によってです 
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 いまだって、アッタリマエだろう?・・・「恩恵主義」、「家父長関係」、「親分子分の関係」、「義理人情」、親分は「男」ばかりじゃぁなかったし・・・何が悪かったのかね?・・・「親の血を引く兄弟よぉりも〜」・・・
 それに、このかっての「日本的労働状況、環境」を「的確」に見ていたアメリカ人、当時も今も本国アメリカの「労働組合のボス」は「ゴッド・ファザー(?)」であることを知っていたんだろうか・・・掟を固く護って「アイ」してくれるんだろう・・・
 現今の日本、政治屋、官僚屋、裁判屋、武装屋、学者屋、それにジャーナリスト屋(?)は資料の数字と字面、報告書、学術書を机の上に置いて考えているらしいが、「現場・現実」との接点での出来事を確実に把握し、その利害関係を熟慮、判断しているのは「儲けに多忙で一家を養うボス」であるらしい。とにかく、カラダが資本だからねッ。
 「社会的な自己疎外」の渦中いる事に無自覚で、カネがあっても、無くても、死なずに生きていくということには、「経営者=労働ボス」も、「労働子分」も、「労働者」も、三者劣らず大変なのである、なッ。年末、師走だし・・・
 「GHQ労働課のスタッフ」、理想に燃えた若者だった・・・だが、当時のアメリカ本国の実際の労働現場や労働現実の「足元」を見ていなかったらしい。日本占領軍としてやってきたのだから、アメリカ本国の現実問題としてよりも、日本の現状打破を考えざるを得なかった。
 「青年」は荒野に出て、故郷の現実を自覚するのかも・・・「老人」もかな・・・
 事件が身に及ぶまで身近な問題として考えないのは誰しもだが・・・TV漬けって・・・今現在のブラウン管、液晶画面の中の事件は自分自身の事件じゃないからね。