527日目・・・やぁ、お久しぶりデス。やっと今年の「クルシマス」から解放される時期が終わった、って感じだけれど、苦しみはこれからだろう・・・25日クリスマスはママさんと御主人の社長が主催する「忘年界」に参加して来た。「人生は愛」だなんて言うけれど、「人生は怨み辛み」の方が現実のようだ・・・「イヴ」には「タケシ」の演じる「日米開戦と東条英機」をTVドラマでみたけれど・・・戦争で「日本人(満州、朝鮮、台湾、帝国日本の属領植民地の人間も含む?)」と言われる人間が「360万人」も死んだ・・・「戦争はダレがはじめ

 それにしてもドラマの「東条英機」は近代合理精神の持ち主だった「昭和天皇」絶対崇拝の「戦争回避論者」で、「戦争開戦責任は無い」みたいなドラマ展開だった。時代は「天皇主権」であるから当然である。だが、歴史的な反省はが必要とされているのは現代のこの時点からである。「憲法上の統帥権があったからの問題」ではない。あるいは「立憲君主」だったからではない。
 ロンドン留学を経験した合理的精神の「天子さま」、「お上」の威光は絶対で、「東條臣下」は「天子さま」に叱られるのを畏れた存在であったが、他の臣下はその「威光」をないがしろにした。明治以来、「傀儡」に祭り挙げられてきたが、その「傀儡の意味の役割」は明治天皇大正天皇昭和天皇ではまったく違うのだ。
 開戦、海軍もあっさり、膨大な海軍予算獲得で戦争遂行オッケイ・・・「軍人の戦争責任」とは「戦略、戦術」のやり方、「作戦、実戦」の稚拙、「マケル戦争をしてしまった」と言う「責任」なんだろう・・・軍事力弱い国には「精神力=神国日本」が無くても勝つのが当然だが、結局「徳富蘇峰」が答えた「戦争のヤリカタが下手」だった、と言うところだろう。戦争は単純には「勝ち負けの決着勝負」だから「勝てない戦争はしない」と言うコトだ。日清戦争日露戦争第一次世界大戦、台湾併合、朝鮮合併、満州国建国は「日本帝国軍人・兵卒」が山に、海に屍を累々と晒しても「戦争に勝利」したのだ。殺すか殺されるかの戦場は「修羅場」での「団体戦」である。監督である「将軍の采配」でその決着はついた。当然「戦争に負けた軍事指導者、高級軍人」の「戦争行使の技術上の責任」である。勝てば「官軍」なのだ。だが、戦争終結後の「外交交渉(駆け引き)」が「戦利品」の多寡を決めるのだ。幕末の井伊直弼も、明治の元勲も「日本精神・日本思想」ではなく、常にシビアな「支配階級」の利害関係として「現実」を直視していた。
 「戦争の本質」とは、「戦争行使、暴力の実行」とは「政治の延長」であるとクラゥゼヴィッツが「戦争論」で既に喝破していた。 この「政治」とは「国際外交→軍事、戦争行使」も「国内内交(内政)→警察、治安維持、弾圧」も同じであろう。「政治」とは何か?・・・「階級間の相互利害関係」の「協力、妥協」であろう。現象的には相手に有無を言わせぬ「テロ」も「ゲリラ」も「マフィヤの暴力行使」も、「妄想確信犯」も、江戸時代の「百姓一揆」も実際はそれなりの時間的プロセスを踏んだ結果としての「政治の延長」と言うことになるが、煎じ詰めれば「相手の意思、行為」を「暴力手段」で屈服させ、自分の意思をとおすコトである。では「暴力行使」以前の「脅し」や「威喝、脅迫」が「政治」なのか?・・・タシカに「政治」である。孫子いわく、「威喝、脅迫」で「無手勝流が上策」である。戦国時代では敵への身分安堵保障の「懐柔工作」である。そして金による買収である。「脅し」で相手が屈服しない時の「下策」が「暴力行使」の「戦争」である。
 第一次大戦以来、戦争の戦場は前線ではなく、全面になり、毒ガスなどの兵器が投入された。
 第二次世界大戦は「原爆」、「細菌兵器」で終わった。核戦争、細菌戦争の結果の「戦後の勝敗、倍賞外交」がありうるとは考えにくい。
 そも、そも「国家間の人ごろし」に合法性があると考えている人間は「人間」ではない。
 最近やめさせられた「航空自衛隊の幕僚幹部」は退職金を「6000万円」もフトコロにしたらしいけれど、これで彼と彼の家族の「生活」は保証されるのだから、失業しないため、「組織防衛=生活防衛」として「軍事組織の大義名分」を「自画自賛史観」としてイイたいのは当然である。敵対国家が存在しようが、しまいが「生活基盤」は磐石にしたいのは他の社保庁、「国家官僚屋」とはたいした変らないのだろう。だがドコの「階級国家」であれ、組織防衛をするには敵が攻めてくると言った「危機感」が必要だ。国家間の「互恵」などは金融危機で吹っ飛んでしまっている。
 それにしても一体、ダレが「自虐史観」などと言い出したのか。ダレも「自虐」などとは思ってもいないだろう。「日本人のプライド」は別な所にある。「日本国憲法」である・・・「戦争はイヤだ」とは「国防」を考えたとしてもアタリマエの原点である。「階級国家」だとしても「戦争回避」、あるいは最小限のダメージで「外交勝利」するコトが原点である。
 「軍隊組織」は「失業対策」に何時も利用される。そして何時も「敵」を必要とされる。その「敵」も「仮想の敵」からはじまるのだが・・・敵も同じ人間なのだ、が・・・ダマサレルのサッ・・・ダレかに・・・現今の「民主主義の天皇陛下」は「私欲国会議員」よりもはるかに信じるにあたいする。日本居住地区住民の「民主主義のリーダー」として「大政奉還」はどうか・・・
 「キミも貝になりたい時」が来るかも・・・