216日目・・・「女法皇(Ⅱ)」・・・日本古代史の「女王・女帝(Ⅲ)」が「壱与(與)」で「壱拾参=壱拾参歳」で、(魔術師(I)+女王(Ⅲ))」の合体ならば、「女法皇(Ⅱ)」はイワズと知れた「卑弥呼」である・・・「THE HIGH PRIESTESS(主にキリスト教以外の高位の尼僧・修道女)」・・・「アマさん」か、「ミコ(巫女)」である。

naie2007-02-07


 「女法皇」である「卑弥呼」の所在地を・・・「邪馬壹国の原点 倭・泉隆弐・講談社・昭和53年(1979)3月発行」から抜粋し、参考に考えてみたい・・・
_____________
 山海経十三篇・・・・・・・・・倭は燕に属す
 (蓋国在鉅燕南倭北、倭属燕)

 漢書地理志(班固)・・・楽浪の海中に倭人有り

 漢書帝紀(班固)・・・・光武帝に倭委奴国朝貢

 漢書王莽伝・・・・・・・東夷の王大海を渡り国珍を奉じ       (平帝9歳・元始元年・辛酉年・西暦一年
  王莽が太傅、安漢公となる)
 (平帝の名前は箕子、これを改め衎=カン)
 (平帝13歳・元始四年・甲子年・西暦四年)
 (居攝元年・西暦六年・丙寅年・王莽が仮皇帝)
 
 論衡(王充)・・・・・・周王朝倭人が暢草を貢した

 魏志倭人伝陳寿)・・・卑弥呼・壱与・邪馬台国
 魏略(魚豢)・・・・・・魚豢=マナをヤシナウ
 魚(まな・サカナ)・豢(やしなう・家畜・誘う)

 後漢書(范曄)・・・・・倭は韓の東南の大海中に在り

 説文解字(許慎)・・・・邪頭国=邪頭昧国
 (鮸魚、郇魚:薉=濊・邪頭国に出づ)

 隋書俀国伝(魏徴)・・・邪靡堆に都す。
          これ魏志のイワユル邪馬台国なり

 「漢書地理志注釈」の「顔師古(唐代・貞観十五年・614年)」は「如淳」が言った「如墨委面・在、帯方東南万里」を「臣瓚」が「倭、是国名。不謂用墨」とし、「顔師古」自身は「如墨委面、蓋音委字耳(けだし、音は委の字のみ)。此音非也(この音「ヰ、イ」は「ワ」と非なり)。倭音一戈反(倭の音は一丈の反なり)」として「如墨委面」は「倭種」で、「邪馬壹」であるとした。「帯方郡、東南万里」と「楽浪郡、東南大海中」の違いは朝鮮半島の時代的支配経営情勢の認識違いによる、としたらしい。
 「一丈(ひとたけ・イチジョウ)」の「反(そり・ハン)」って?・・・壱を他に懸け、蘇す理・・・?・・・じゃぁナイョナッ。「壱の嬢は板の叛」か、「位置の定は頒(大頭・区分・分けた)の犯(ヨコシマ=横島=邪)」・・・?・・・北緯33度辺りに「八丈島」はあるけれど、「一丈島」はないよな。
___________
 じょう ぢやう 1 【丈】

 (名詞)

 (1)尺貫法の長さの単位。
  一〇尺。
  1891年(明治24)100メートルを三三丈と定めた。

 (2)長さ。たけ=竹・嶽・武。丈尺。

 (3)「杖(じよう・つえ=津江)
    (2)」に同じ。
____________

 「漢書」には「楽浪郡」に「邪頭昧県」と言う地名が有った、と記載されている。
 「泉隆弐」氏はこの「邪頭昧県」が「楽浪の海中に有り」と考えているらしい。「倭」である。そして「楽浪郡に属していた」と・・・「大海」は「瀚海」とも言われた。
 「楽浪」の旧址から「邪頭昧宰印」の「封泥」が出ているそうだ。
 で、問題の「邪頭昧」はどのようにヨマレルのであろうか?・・・「倭」は「ヰ(イ)」と呼ばれていたのか?・・・「委(ゥエイ)」なのか?・・・泉氏は「邪頭昧」を「イツム=倭奴=委奴=ヰツ・イツ」と読みたいらしい、のだ。そして「昧」は「面」と同音の「M音」である、と。そして「邪頭昧=如墨委面」である、と。
_________
 邪→如+用
 馬→墨
 壹→委
_________
 ・・・ボクなら「邪頭昧=イツム」であるなら「「イツム→イヅモ→出雲」とヨム。「イヅミ」なら「伊豆味・逸美・逸見・泉・泉水・和泉・出水」である・・・イツモって、常時、常夏(とこなつ)の島で、何時も・・・アタタカイ・・・ハ、ワ、イ・・・
 「邪頭昧」の「昧(バイ・マイ・暗い・おろか・よあけ・むさぼる・犯す)」と「眛(バツ・マチ・暗い・目が明きらかでない・犯す)」は類字だが、異字である。そして、さらに類似した「昩(バツ・マチ・くもる・ほの暗い・ほし)」も「目+末(バイ・マイ・くらい・目が明らかでない)」、ボクの漢和辞典では発見できない「」もある。
___________
 味=口+未(ビ・ミ)=あじ・五味覚・ウマさ
 昧=日+未(ビ・ミ)=バイ・マイ=犯す・冒す
 昩=日+末(マツ)=バツ・マチ=曇る・星
 眛=目+未(ビ・ミ)=バイ・マイ=暗い・目が明らかでない
 眛=目+末(マツ)=バツ・マチ=暗い・犯す・冒す
 皌=白+末=?・・・シロのスエ・イワク、おわり
___________
 まったく、記録する時、記録されたモノをヨム時にはどうするのだろう・・・「味読」、「曖昧」、「未詳」・・・「未亡人」・・・「後家・呉家・語懸・語化」・・・
 「犯」も「冒」も「よこしま=邪=横島・横嶋」とヨム。九州の地図帖を拡げて横島を調べてくれ。
 2007年2月3日(土曜日)の中日新聞の{37}社会・12版の記事には、

 「江戸時代の測量家、伊能忠敬(1745年〜1818年)が作成した全国地図のうち、大分県から宮崎県周辺の大図(三万六千分の一)の詳細な原寸大写し三枚が海上保安庁海洋情報部で見つかった。地図は一畳ほどの大きさで、複雑な海岸線や山、城などが色彩豊かに描かれ、地名や宿泊して天体観測をした地点などを記入。240枚あった大図の原図は火災で失われた・・・牡鹿半島高松市周辺、桜島などの縮小図もあった。海上保安庁(海の相談室)でカラーコピーを閲覧できる」

 とあった。「邪馬台国」・・・江戸時代の天文学者や測量技師、北海道(蝦夷=えぞ・カイ)などの探検家、地名を付与した人間がアヤシイ・・・

 「邪(ヤ)」は元々は「祁(キ)」のが書き換えられた、との説がある。ならば、「委(ヰ・イ)」は「キィ」かも・・・
 「魚豢=魚を養う、誘う、誘き寄せる」で、「豢」の類似に「拳(こぶし・握る・打つ・叩く・いつくしむ)」で、挙手、枚挙の「挙」は「あげる・かかげる・誉める・用いる・選ぶ」で、「擧=與+手」である。
 「魚豢」の名前、「真名仮名」を「おびき寄せる」であるなッ・・・「逸書・佚書」である「魏略」は頗るアヤシイッ・・・
 トニカク、中国、日本の古代史は「漢字」のお勉強をしなくちゃぁ、ワッカリマセン。
 で、「阿倍仲麻呂」と言う人物は「遣唐使」として、留学し、唐の「図書館長」になった人物だけれど・・・コイツが「改竄」した?カモ・・・「美しい故国」を思って望郷念で泣いたんだろうな、末路・・・「アベ」ちゃんのご先祖カモ・・・