194日目・・・正月の参日(水曜日)・・・暖かい正月だな・・・どうやら一階天井裏にネズミの母子が巣食っているらしい。共存していきたいけれど、中途半端にバナナや米が食われ、小粒の糞を撒き散らされていくのにはどうしようもない、ナッ。天井裏の電線を食い千切って漏電にでもならなければイイんだけれど。母ネズミらしいけれど結構、都会的に洗練された美しい毛並みで、顔立ちも美人・・・子ネズミを育てるのは大変だろうな。

 去年は随分と「動物達の生活ドキュメント」をTV番組でみたけれども、野生動物、個としても集団としても「命を持続」させていくって厳しい、ナッ。そして、北極を知らない人間(?)として育てられた「白熊ピース」って、結局は一生オりの中・・・
 雄と雌の出会い、双方同意の「恋愛」なんだろうか?・・・ヤッパ、ケモノの雄の「暴力」と、トリの雄の見た目の「美しさ」は、雌の「アコガレ」の条件なんだろうか?・・・雄同士の雌を獲得する戦いで、負けた雄がスゴスゴと引き下がるのは口惜しくも同情してしまうが、コレを「優性遺伝の法則」なんて説明されたら、頭にくるなッ。
 とにかく、雄雌の関係から子ども達を産み、「家族」として死活の狭間で育てていく・・・まさか、「種の絶滅」をくい止めようと意識しながら生きているとは思えないが・・・
 そして、子ども達はその「父母兄弟姉妹」の「強弱の序列」をわきまえながら必死に自らの生き方を学び、生きようとしていく。オオカミでも、クマでも、オットセイでも、クジラでも、サカナでも、サルでも、トリでも、ムシたちでも両親に護って貰って甘えられるのは、ほんのイットキの時間・・・そして別離と孤独、あるいは集団の厳しい序列社会での余裕の無い獲物獲得のタメの「弱肉強食」への修羅場での生活へ。
 「動物」として食って生きていくと言うところでは、「人間」も異なるところは無い。「弱肉強食の修羅場の結果」がレストランや家庭のテーブルの皿の上では見えない、幸せな「美味しい物」でしかない・・・
 「菜食主義者」は「植物の命」をどのように考えているんだろか・・・「食物連鎖」は自然界の必然のように思えるけれど・・・人間だけが、生きている間は自分自身の存在も含めて、「存在のあり方」を「コトバ」で様々な「理屈・理由」を考え、考え出す。
 むかし、「フランキー・サカイ」って言う俳優が主演した

 「私は貝になりたい

って映画を観たョなッ・・・深海の貝になりたい、って・・・