壱拾九日目・・・

 壱拾九日目・・・イチ
         以知
         ↓
         イヂ
         ↓
         医事
         意字
         維持
         意地
         位地
         位置
         異字を拾い、究め、比べる目

 昨日古本屋で見つけた本だが、東条英機が帝国日本敗戦後、恥ずべき自殺未遂で米軍に捕虜、収監され、記録された「獄中手記・わが無念」だが、文字で記されている思いと、現実的に戦争責任者として日本国民の多大な命を消耗させた命令、実行させたその実体との「乖離」は一体なんなのであろうか?・・・記録されたモノが「文字通りの意味」の彼の「信念、信条」ではないハズ、だ、と言う思いである。だが、また欧米の支配者が「約束・盟約・律法」を「文字通りの絶対性」と考える人種ではないコトを胆に命じる必要がある。
 当時の日本帝国の生命線は領土の拡張とその生活資源の確保であったが、アメリカを中心としたABC包囲網のイヂ目によって、三国同盟盟約を堅持し、その「信義」を最期までまもる中で敗戦したが、敗戦で縮小された領土内の「繁栄」は思いもつかなかったのだ。「鎖国」がその領土内で「階級妥協の平和」を謳歌していたとは言いすぎだが、北朝鮮がカッテも、現在も「アメリカ政府支配階級」にイタブラレテイタ宣戦布告前の「日本的状況」を反省し、踏まえているのなら・・・体制はドウでアレ、手ごわい将軍様の国であろう。
 東條は戦争責任の所在を天皇の「統帥権」にあった、ともその手記で言っている。問題は「法」ではなく、「人間」である。「法・掟」の「記録」された観念を操り、その「法・掟」の観念に対峙し、翻弄される「人間」である。
 知らぬ間に「法・掟」は「ダレのタメのモノ」なのかを忘却されて恐ろしいモノとなる。「法の下の平等」と言うことは、「人間が人間のタメに人間が作り出した法の下の平等」とその意味を詳細、緻密に「主語」をハッキリとさせて記録せねばならない。更には「人間」もその「種類」をハッキリさせる必要がある。すなわち、あのリンカーンがコトバとして言った「一般人民」そのものの「人民(of by for)」ではなく、階級、階層、区別、差別されているところの「アメリカ人民の種類」である。「人間」とは「地域、国家領域に属する人民」よりも地球上に存在するより普遍的な概念だが、一把一絡げに「人間」ですますわけにはイカナイ。
 社会状況の中での「人間の種類」を問われなければならない。今日のニュースでは「法定制限利息(20%)」と「事業制限利息法(29%)」があるらしい。「サラ金」自体の存在が何故必要とされてきたのか・・・都市銀行から膨大な融資を受けてサラリーマンにカネを化している「サラ金会社」とは「庶民の金融機関」では決して無いョナッ・・・ていのイイ高利貸しだョ、寛一さん。