晁=日+兆=あけがた=朝=朝衡=晁衡⇔阿倍 仲麻呂の玄宗=舷窓=幻想

 2913日目・文字霊日記
 怠(ム口心)者=生きるために「競争」を遺棄した人間・・・?
 第2次補正
 一般会計総額約32兆円の3分の1近く
 予備費
 「10兆円の予備費を追加」
 ・・・?・・・
 象形
 卜(うらない・卜)の
 亀(かめ・キ)の甲に現れた割れめの形
 ↓↑
 兆=冫+儿+冫

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 ↓↑
 亀甲
 (キッコウ・キコウ
  かめのこう・かめのこ・かめこう)
 カメの甲羅
 六角形状のもの
 亀甲括弧
 括弧の種類のひとつ=〔 〕の形
 模様の種類・亀甲繋ぎ
 家紋「亀甲紋」
 「子持ち亀甲」
 地名
 亀甲町
 (かめのこうまち)
 青森県弘前市 亀甲町
 福岡県大牟田市 亀甲町
 大阪府大阪市福島区 亀甲町
 亀甲
(かめのこう)
 福岡県八女市の亀甲
 熊本県玉名市の亀甲
 岡山県
 久米郡
 美咲町
 亀甲駅周辺の地名

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 雪・細氷=氷の結晶
      微細な規則性のある結晶構造が
      発達し密度が比較的低い
      (空気を多く含む)
      浮遊する濃密な
      雪片の塊である
      雲から落下
 ↓↑
 霰・雹・凍雨=氷の粒
 霰・雹・凍雨=雪片が落下するまでの間に
        融解や凝固(凍結)を
        経ることで生成
        霰・雹・凍雨の粒は
        規則性のない結晶から構成され
        密度が高い
       (空気をあまり含まない)
        晴れた空から
       (地表付近で
        水蒸気が昇華して生成され)
        落下してくる氷の微小な結晶
 ↓↑
 H2〇=水
   〇ーHー〇
   /    ∖
  H     Hー〇ーH
   ∖    /     ∖
   〇ーHー〇     〇
   /    ∖     /
  H     Hー〇ーH
   ∖    /
   〇ーHー〇
 ナゼ、自然界の「造形」は

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 ↓↑
 兆=冫+儿+冫
   チョウ(テウ)
   きざす・きざし・まえぶれ
   兆候・前兆・予兆
   うらない・うらなう
   占兆
   数の名=一億の一万倍
   数の多いこと
 ↓↑
   古代の占い
   亀の甲を焼いてできる裂け目の形
   物事が起こる前ぶれ
   災いの兆
   1億の1万倍
   10の12乗
   (10)¹²=1000000000000
   古代中国で1億の10倍
   「億」の次、「京」の前の単位
   「一兆」は「一億の一万倍」

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 ↓↑
 頫=兆+頁(page)・・・「兆(きざ)しのページ(頁)」・・・?
 チョウ
 フ
 ふす・ふせる・うつぶす・うつむく
 うなだれる
 顔や身体を下に向ける=俯・・・項垂れる
 みる・会う
 また・まみえる
 天子にまみえる
 ↓↑
 俯・・・項垂れる
     項=工(匠)+頁(ページ・page)
       うなじ=海路・唸じ・脰・領・・・得名字?
 俯=亻+府
   亻+广+付
   亻+广+寸
   フ(付)
   ふす(伏・臥・匐・焄)
   ふ(付)
   うつぶす(俯伏)
   うつむく(俯向)
   ふす・ふせる
   うつぶす・うつむく
   うなだれる(項垂れる)
   顔や身体を下に向ける
   かくれる・閉じこもる
   ↓↑
   府=广+付=倉庫
         文書や財宝を収める所
   腐=广+付+肉=去勢する刑罰・腐敗
   符=竹+付=割符・証拠・印章
         未来記・きざし(兆候)
         神仏の守り札・御札
   腑=月+广+付=五臓六腑・内臓・
   椨=木+广+付=たぶの木
          クスノキ(楠・樟木)
   捬=扌(手)+广+付=防ぐ・守る
             撫でる・さする
   焤=广+付+火=腐=𣩇=𢋲=𢉶=爛=腐爛
      本 作 腐・烂也
      腐る・朽ちる・崩れる・滅びる
      古くて役に立たない
      無能・心を痛める
      豆腐・腐刑
      拊と通用し「撃つ」
      爛(ただれる)
 ↓↑
 顽=頑=元+頁
   無知蒙昧である
   冥頑不灵
   頑固である
   しぶとい
   いたずらである
   頑=愚鈍・愚頑
     冥頑不灵(愚昧頑鈍不灵活)
        靈    靈=灵
     不容易变化或动摇=頑固・頑强・頑敌
     頑症・刁頑・负隅頑抗
     淘气・胡闹・頑皮・頑童
     霊=灵・・・魂魄
     肉体に宿って肉体を支配し
     肉体を離れても存在する
     精神的本体=霊魂・たましい・たま
 ↓↑
 もも=桃=百々=腿=股・・・「眺望」・・・
 ↓↑
 誂=言+兆
   チョウ
   あつらえる
   さそいかける・いどむ
   たわむれる・からかう・もてあそぶ
   日本
   あつらえる・注文して作らせる
 ↓↑
 晁=日+兆
   チョウ
   あさ
   あけがた=朝
   朝衡=晁衡=阿倍 仲麻呂
   文武天皇二年
   698年
   ~
   宝亀元年正月
   770年
   遣唐留学生
   姓は朝臣
   筑紫大宰帥・阿倍 比羅夫の孫
   中務 大輔・阿倍 船守 の長男
         阿倍 帯麻呂の兄
 ↓↑
 挑発=挑撥(チョウハツ)
 相手を刺激し
 事件や紛争などを引き起こすように
 また
 好奇心や欲情などをかきたてるようにしむける
 ↓↑
 なごやか=名護屋化・那古屋化・名児耶化
 なごやか=和やか
 和やか(なごやか)
 ものやわらかなさま
 穏やかなさま
 複数の人が気分がやわらいでいるさま
 ↓↑
 にこや=和やか
 うれしそうににこにこしているさま
 和やかな顔つき」
 ものやわらかなさま・優美なさま
 和やかさ
 ↓↑
 Mainly we use 和やか
 about atmosphere. harmonious family
 和やかな家族(かぞく)
 warm discussion
 和やかな 話し合い(はなしあい)
 ↓↑
 なご‐やか=和やか
 ものやわらかなさま
 穏(おだ)やかなさま
 和(なご)やか=柔やか=にこやか
 ↓↑
 ほほえみ(微笑)を浮かべるさま
 アルカイク・スマイル
 (アルカイック・スマイル
  Archaic smile)
 にこにこしているさま
 「―にあいさつを返す」
 物腰・筆跡などの柔らかいさま
 ↓↑
 東大寺
 諷誦文
 平安初期点(830頃)
 「女衆は(みやび)たる、
  窕(ナゴヤカ)なる形を現はすと雖ども」
 窕⇔宨=宀+兆=テワ・チョウ・ほしいまま
       兆(きざし・チョウ)
       漢字文化圏における数の単位の一
       兆がいくつを示すかは時代や地域により異なる
       現在
       日本・台湾・韓国・香港
       では
      (10)¹²=1000000000000
      『書経
      「兆民」・・・中江兆民
      「億兆」・・・山上憶良
       という語で
       天下の
       多くの人々を意味する用法
 ↓↑       ↓↑
         兆
         ↓↑
       中江 兆民
       弘化四年十一月一日
       (1847年12月8日)
       ~
       明治三十四年
       (1901年)12月13日)
        大運1898年1月(50歳)~1908年
                 丙午劫財建禄
  ┏丁┏未丁乙己比肩・比肩冠帯⇔辛丑
  ┗壬┏子壬 癸正官・正官 絶⇔庚子
  ┗丁┗丑癸辛己  ・偏官 墓⇔乙丑
   丙┗午丙 丁劫財・劫財建禄⇔壬午
     申酉空亡
       ↓↑
       土佐藩高知城下で
       足軽の子として誕生
       思想家、ジャーナリスト
       政治家(衆議院議員
       自由民権運動の理論的指導者
       東洋のルソー
       本名(諱) 篤介(とくすけ・篤助)
       幼名    竹馬
       號     兆民・秋水・青陵・木強生
            「秋水」の號は弟子の
             幸徳秋水に譲り渡した
       慶応三年
       フランス外交団の通訳
       明治四年(1871年
       廃藩置県
       岩倉使節団
       司法省9等出仕
       11月
       横浜から出帆
       アメリ
       第三共和政のフランスへ渡航
       ↓↑
       ジャン=ジャック・ルソー
       『社会契約論』
       の部分訳
       漢字カタカナ混じり文の
       『民約論』校訂に携わった
       民権論の専門教授
       ↓↑
       明治二十四年(1891年)7月
       北海道
       小樽へ移り
       4月
       小樽初の新聞
       『北門新報』を創刊し主筆
       『北門新報』の社主は
       金子元三郎
       日本に亡命していた
       金玉均を介して
       兆民が紹介された
       ↓↑
       明治二十六年(1893年
       札幌で
       「高知屋」開業
       「北海道山林組」設立
       明治二十七年(1894年)
       常野鉄道
       毛武鉄道
       など数多くの発起人
       明治三十年(1897年)
       中野清潔会社設立
       明治三十一年(1898年)
       群馬の
       遊廓再設置運動など
       虚業的とも評される
       数々の事業や政治的活動
       いずれも失敗
       12月
       国民党を結成
       大阪で喉頭
       満54歳で死去
 ↓↑              
 輕宨・放肆也
 窈窕・閒貞靜意
 輕宨・非
 止・窈窕本 从穴
 窕肆也・輕窕者・好放肆也・亦从穴
 恐卽窕字之譌
 ↓↑
 放肆=勝手気ままで・したいほうだい
    傍若無人
    大自然是放肆的・顽强的
    大自然は勝手気ままで手ごわいもの
 「無釐頭」
 「放肆=ホウシ=放恣」
 無釐頭=無茶苦茶な、筋が通ってない
     nonsensical・unreasonable・absurd
 ↓↑
 窕=宀+儿+兆
 窕=穴+兆
   宀+八+兆
   チョウ
   ヨウ
   あでやか
   おくゆかしい
   ふかい
   深い・奥深い・底知れない
   しとやかで美しい・奥ゆかしい
   かるい・軽々しいさま・軽率
   あでやか・なまめかしい・妖艶なさま
   門前町-窕(もんぜんまち-うつろ)
            ・・・うつろ=宇津呂=空虚
 ↓↑
 「にこやか」は
 「なごやか(和やか)」
 「おだやか(穏やか)」
  類義漢字
 和(やわ)らぐ
 和楽
 和気藹藹
 和気靄靄
 藹藹
 靄靄
 ↓↑
 名古屋=尾張名古屋
 千葉県成田市
 福島県猪苗代町
 にも
 「名古屋」の地名
 成田市名古屋
 下総台地の丘陵の
 和(なご)やかな地形の場所
 猪苗代町
 猪苗代湖北岸の
 穏やかな平地
 ↓↑
 尾張
 名古屋市
 「那古野(なごの)」=平坦地
 穏やかな入り江につけられた地名
 佐賀県唐津市
 「名護屋浦」
 豊臣秀吉朝鮮出兵時の
 名護屋城名護屋
 海辺なので
 魚子(なこ)という漁村
       ・・・魚=まな=眞名・・・眞魚(まお)
            さかな
           =肴=乂+有(ナ月=肉=ジク=字句)
            有=ナ+月・月=肉=ジク
                      字句・磁区
                 磁器・磁気・ 磁石
       佐伯 眞魚(さえき の まお)
       弘法大師空海
 山口県
 阿武町-奈古(なこ)
 千葉県
 館山市-那古(なこ)
 沖縄県
 名護(なこ)市
 ・・・こなご=こおなご(小女子
        いかなご
        体が小さく
        女の子のように可愛い・・・
 時間がたつと
 表面が崩れるほど繊細な魚
 水揚げしすぐに砂や海藻などの
 不純物を取り除くために
 表面が崩れないように
 真水で洗い
 塩ゆでされ
 茹(ゆ)で上がったものは・・・茹=ゆでる=煠
 風に当てながら春の日差しで
 約15分~20分程天日干しにして出荷
 春を告げる一品
 ↓↑
 高知県土佐市
 と
 須崎市の境に
 「名古屋坂」という峠道
 ↓↑
 「なごや」に似た
 「ねごや」地名・・・ねこや?
 名古屋市
 緑区
 鳴海城は
 別名「根古屋城」
 「根古屋」などの地名
 静岡県沼津市
 根古屋・・・根古=ねこ=猫
 興国寺城跡に残る地名
 新潟県魚沼市
 根小屋
 魚野川を挟んで
 「堀之内」という地名
 豪族屋敷村にちなむ地名
 秋田県北秋田市
 根小屋(ねこや)
 福島県いわき市植田町
 根小屋(ねこや)
 群馬県東吾妻町
 根古屋(ねこや)
 茨城県水戸市
 根古屋(ねこや)
 静岡市
 根古屋(ねこや)
 茨城県行方市
 根小屋(ねこや)
 千葉県成田市
 根古屋(ねこや)
 ↓↑
 那古野=名古屋
 和やかな気候の土地=なごや(和や)
 霧(ナゴ)発生がしやすい土地
 漁師=ナコ
 城下の集落を
 根古屋(ねこや)と呼ぶ
 大波が越えた土地=波(な)越え(ご)
 ↓↑
 那古野(なごの)
 「なごの」
 明治二十二年
 愛知郡
 那古野 村
 当時は「なごや」と呼称
 明治三十一年
 明治三十五年
 那古野 町
 「なごの」に呼称変更
 ↓↑
 和やか・凪ぐ・なごむ
 心和ぐ・心を和ませる・柔よか・柔やか
 和よか・折り合う・合う
 穏やか・和順・心温まる・心暖まる
 藹然・侃侃・靄然・藹藹・和気靄々
 和楽・柔和・和ぐ
 やんわり・柔らかい・物柔か
 和気・柔軟
 むつまじい・やわらかい・やわらかだ・ねんごろ
 身近・和らげる・仲よい・和気藹々
 胸を撫で下ろす
 助かる
 息をつく・息が抜ける・気が落ち着く
 ぬくもり・交流
 くつろぎ和やか・心地よさ・柔和な・温和な
 ソフトな・人情味のある・リラックスした
 融和的な・仲良く・くだけた
 安らかな・心をなごます和やか・幸せな
 団らん笑いの絶えない・仲むつまじい
 心のふれあい・穏和・仲良しこよし
 もの柔らかい・穏やかな・いやし系和やか
 親しみ深い・庶民的な・暖かい
 打ち解けた・友好的な・家庭的な
 ほのぼのした・こまやかな和やか
 琴線にふれる
 ↓↑
 和やか(なごやか)・長閑(のどか)
ー↓↑ーーー
 生活の保障・・・「衣食住」
 ↓↑
 「公地公民」
   ・・・土地と人民の国有化(公有化・王有化)
 大化の改新
 全ての土地と人民は
 公
 天皇に帰属するとした制度
 ↓↑
 645年(大化元年)
 「乙巳の変
 ↓↑
 645年
 干支 乙巳年
 皇極天皇四年=大化元年
 皇紀1305年
 唐 =貞観十九年
 新羅=仁平十二年
 ↓↑
 大化の改新
 7月10日(皇極天皇四年六月十二日)
 中大兄皇子中臣鎌足
 蘇我入鹿を宮中で暗殺(乙巳の変
 7月11日(皇極天皇四年六月十三日)
 蘇我蝦夷自殺
 7月12日(皇極天皇四年六月十四日)
 皇極天皇退位
 孝徳天皇軽皇子)即位
 7月17日(皇極天皇四年六月十九日)
 初めての元号
 「大化」と定める
 8月
 東国に国司を任命
 戸籍の作成
 鐘匱の制
 男女良賤の法制定
 十月七日(大化元年九月十二日)
 古人大兄皇子を征討
 人口調査を実施
 12月
 難波長柄豊碕宮に遷都
 孝徳天皇
 難波に遷都(難波長柄豊崎宮)
 ↓↑
 持統天皇(鸕野讃良)誕生
 ↓↑
 天智天皇中大兄皇子)は・・・孝徳天皇
 646年(大化二年)
 改新の詔
 4か条の主文
 副文から構成
 第1条
 「従前の天皇等が立てた
  子代の民と各地の屯倉
  そして
  臣・連・伴造・国造・村首
  の所有する
  部曲の民と
  各地の田荘は
  これを廃止する」
 と定められた
 ↓↑
 大化以前
 天皇や豪族らは
 各自で私的に土地・人民を所有・支配
 天皇・王族は
 私的所有地である
 屯倉
 私的支配民である
 名代・子代などを保有
 豪族らは
 私的所有地である
 田荘と
 私的支配民である
 部曲などを保有していた
 ↓↑
 改新の詔第1条
 私的所有・支配を禁止
 全ての土地・人民は
 天皇(公)が所有・支配する体制の確立
 私地私民制から
 公地公民制への
 転換を宣言
 ↓↑
 公地公民の原則
 朝廷は
 班田収授法
 に基づき
 人民へ
 口分田を与え
 租税を納める義務を課した
 701年
 大宝律令に継承
 律令制の根幹原則となった
 奈良時代
 三世一身法
 墾田永年私財法
 により
 人民による土地の私有が認められ
 土地の公有という
 公地公民の原則が次第に形骸化
 土地私有によって
 荘園が盛行すると
 公地公民制は崩壊
 公地公民を原則とする
 律令制も瓦解へ・・・
ー↓↑ーーー
 班田収授法
 古代日本
 農地(田)の支給・収容に関する法体系
 班田収授制
 飛鳥時代後期~平安時代前期
 にかけて行われた
 ↓↑
 戸籍・計帳に基づいて
 政府から
 受田資格を得た
 貴族や人民へ田が班給され
 死亡者の田は政府へ収公された
 班給田は
 課税対象で収穫から
 租が徴収された
 ↓↑
 均田制と班田制
 仕組みに違い
 唐の均田制
 3年ごとに実施される
 戸口所属認定
 土地認定機能を持つ
 造籍と
 土地分配機能を持つ
 収授が分離され
 収授が
 毎年の計帳作成と
 同時に実施された
 ↓↑
 日本の班田制
 戸口所属認定を持つ造籍と
 土地認定機能・土地分配機能
 を持つ班田が
 6年ごとに
 戸籍に基づいて班田が実施
 土地を分配する収授が
 班田手続の1つ
 「戸」も
 造籍と班田の結果として形成される組織
 班田の実施には
 中央(太政官)への申請と
 校田帳・授口帳の提出と
 民部省による両帳の勘会を経て
 班田実施を命じた
 太政官符(班符)の発給を必要とする
 中央による統制が強い制度
 日本書紀
 646年正月
 改新の詔
 「初めて戸籍・計帳・班田収授法をつくれ」
 班田収授法の初見だが
 このとき班田収授法が施行されたかは?
 班田収授法の発足は
 初めて戸籍が作成された
 670年
 or
 飛鳥浄御原令が制定された
 689年以降・・・
 ↓↑
 班田収授法の本格的な成立
 701年
 大宝律令制定
 班田収授制
 律令制の根幹をなす
 最重要の制度
 ↓↑
 班田収授
 六年に1度行われた
 「六年一班」
 戸籍も
 六年に1度作成
 戸籍作成に併せて
 班田収授も実施
 ↓↑
 戸籍で
 新たに受田資格を得た者に対して
 田が班給されるとともに
 死亡者の田は収公された
 ↓↑
 戸籍作成の翌年から
 班田収授の手続きが開始
 戸籍作成翌年の
 10月1日~11月1日までの間
 京又は国府の官司が帳簿を作成し
 前回との異動状況を校勘する
 翌1月30日までに
 太政官へ申請し
 2月30日までに許可され
 班田収授が実施
 ↓↑
 律令(田令)
 口分田・位田・職田・功田・賜田
 が班田収授の対象とされ
 例外は
 寺田・神田のみ
 ↓↑
 班給面積
 口分田(1段=360歩)
 良民男子 - 2段
 良民女子 - 1段120歩(男子の2/3)
 官戸・公奴婢
 良民男女に同じ(男子:2段、女子:1段120歩)
 家人・私奴婢
 良民男女の1/3(男子:240歩、女子:160歩)
 位田
 正一位 - 80町
 従一位 - 74町
 正二位 - 60町
 従二位 - 54町
 正三位 - 40町
 従三位 - 34町
 正四位 - 24町
 従四位 - 20町
 正五位 - 12町
 従五位 - 8町
 職田
 太政大臣 - 40町
 左右大臣 - 30町
 大納言 - 20町
 大宰帥 - 10町
 大宰大弐 - 6町
 大宰少弍 - 4町
 以下
 大監~史生まで2町~1町を支給
 大国守 - 2町6段
 中国守・大国介 - 2町2段
 中国守・上国介 - 2町
 下国守・大上国掾 - 1町6段
 中国掾・大上国目 - 1町2段
 中下国目・史生 - 1町
 郡司大領 - 6町
 少領 - 4町
 主政・主帳 - 2町
 功田・賜田
 功田・賜田は支給面積の基準無
 ↓↑
 班田収授
 奈良時代最末期
 浮浪・逃亡する百姓の増加
 そうした百姓を
 初期荘園が受け入れ
 次第に弛緩し
 桓武天皇
 6年1班を
 12年1班に改め
 班田収授の維持を図った
 田地の不足
 班田手続きの煩雑
 偽籍の増加
 等
 平安時代初期
 班田収授が実施されなくなった
 902年(延喜二年)
 醍醐天皇により班田が行われたが
 実質的に最後の班田となった
 ↓↑
 班田収授が行われなくなって以降
 班給された「公地」は
 実質上農民の
 私有地となっていった
 最終的には国衙領として
 国司の領地のごとき存在となっていく
 (荘園公領制
ー↓↑ーーー
 灌漑施設(溝・池)を新設し
 墾田を行った場合
 三世(本人・子・孫、又は子・孫・曾孫)
 までの所有を許し
 既設の灌漑施設
 (古い溝や池を改修し使用可能にした場合)
 を利用して墾田を行った場合は
 開墾者
 本人一世の所有を許す
 ↓↑
 三世一身法施行の前年
 閏4月25日(旧暦)
 太政官が奏上し裁可された政策の中に
 良田百万町歩開墾計画があった
 食糧増産を目的として
 新たに百万町歩の農地を開墾する
 壮大な計画だった
 人口増加で
 食糧不足が生じた
 辺境での
 国防費の財政需要が生じた・・・
 実権を握っていた
 長屋王(長屋親王
 による計画だった・・・
 ↓↑
 三世一身法の施行
 墾田が増加した・・・
 「三世一身法」から
 二十年後の
 743年
 「墾田永年私財法」
 「三世一身法があるが
  期限が到来すれば
  収公してしまうので
  農民は
  怠けて墾田を行わない」
 とある・・・
 「三世一身法の効果」は
 二十年未満しか継続しなかった・・・
 ・・・「怠け者の人間」・・・
 ・・・生きるために「競争」を遺棄した人間・・・?
 ↓↑
 「20年で三代が経過し、収公の期限が終わった」
 ・・・大寺社や貴族豪族の
    利益誘導を目的とした法改正・・・
 既存の灌漑施設を用いた墾田は
 一代のみで収公されるので
 その墾田では既に農民が怠ける事態が起きていた
 単なる意欲減退ではなく
 意図的に荒らした後で
 再開墾すれば
 再び所有権が得られる・・・
 ↓↑
 「三世一身法
 「墾田永年私財法」と併せて
 律令体制の根幹である
 「公地公民制」の崩壊の前兆・・・
 「公地公民制」が「律令体制」の根幹・・・
 ↓↑
 「班田収授法」の実施
 平安時代以降
 「公地公民制」の崩壊
 「養老律令
 の
 「田令
  農地開墾に関する規定がない
  全ての農地が「公地」とされた以上
  新規開墾は国家が行わねばならず
  それが不可能であるなら
  何らかの手段で
  民間に委ねる事は必須
  民間での墾田を推奨するため
  三世一身法
  特別措置法的に定めた・・・
 「三世一身法
 は
 「律令の不備を補完」する法令だった・・・
 以上の原文は「コンピュータでの
 「検索」した「ブログ記事」からの参考、参照、抜粋
 及び
 by 「ウイッキペデア」からの部分添付・・・
 ボクのモノは
 それらの記事に「・・・」と「?」を付けた箇所のモノだけデス
 勝手に拝借ゴメン・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・クイッパグれの原因・・・
 公での社会生活を「個人的に怠けるコト」・・・
 体力的に「協同体の人としての機能を失うコト」・・・
 共同体の
 衣食住の「社会的管理、保証」が崩壊状況にあるコト・・・
 ・・・???・・・
 「自然崇拝」から逸脱し「人間崇拝」しすぎるから・・・?