イズレの時期も「疫病」が蔓延するが・・・今時「集菌pay・狂散痘」・・・

 2886日目・文字霊日記
 あの時代・・・600年~700年・・・238年・・・
 あの時代・・・⼞⼞=⊏+⊐・・・
        はこ=匣・函・凾・筐・匳・匵・筥・筐・箱
        長の方の形(幵+彡・开+彡)の卑弥呼・・・
 ↓↑
 兆=冫+儿+ㄑ
   占いの時に
   亀甲を焼いてできる裂け目の形
   物事の起こる前ぶれ・きざし・兆候
   一億の1万倍の数
   古く中国で「億」の十倍を「兆」
 ↓↑ ↓↑
   求=十+丷+ㇵ+丶
     亠+氺+丶
     亠+冫+亅+ㄑ+丶
   氺=冫+亅+ㄑ
   水=フ+亅+ㄑ
   衣=亠+𧘇
   𧘇=ノ +𠄌+卜
     下+𠄌
 ・・・洪水、水害、津波、海の嵐で溺れたのか?
 ・・・旱(日照り)の旱魃で水不足になったのか?
 ・・・イズレの時期も「疫病」が蔓延する・・・
 ・・・今時は「中国狂散痘の人災」・・・
 乙姫が「浦島太郎」に呉た「ハコ(玉手箱)」の中身は「紫煙
 も
 かぐや姫が「竹取の翁」に呉たハコの中身も「紫焔」
 ・・・箱の中身は漢字の文字の記録のカミには・・・「シエン」・・・
 ↓↑
 貼箱(はりばこ)
 はこ・入れ物・・・十八番(おはこ)・・・
 カルトナージュ(Cartonnage)
 ↓↑
 匚・匚・凵・冂・⼐
 ⼕・⼖・コ
 囗・口・ロ・⼝・⼞
 ↓↑
 匣=匚+甲
 ↓↑
 函=丂+冫+凵+く=凾=圅
   マ+氺++凵
   了+冫+凵+く
   𧰧+凵
   乑+凵・・・雨=一+𠕒
         𠕒=𠕘
 ↓↑
 凾=丂+口+凵+又
   了+口+凵+又
 圅=マ+𢆉+凵・・・南
   マ+丷+干+凵
 ↓↑
 匧=夾+匚
   亠+人+人+人=挟む
 ↓↑
 笥=竹+司
   竹+一+口=箪笥(たんす)
 ↓↑
 匱=匚+貴
   匚+中+一+貝
   匚+口+丨+一+貝
   匚+口+丄+目+ㇵ
   キ・ギ
   とぼしい
   はこ
   ひつ
   欠けている・空っぽ
   大きい箱
   もっこ・土砂などを運ぶ道具
 ↓↑
 筐=竹+匡
   竹+匚+王
 筺=竹+匤
   竹+匚+玉
   竹+匚+王+丶
   キョウ
   かご
   かたみ
   ねだい
   はこ
   かたみ
   四角に編んだ竹製の籠(かご)
   四角の寝台 
 ↓↑
 椢=木+国
   木+囗+玉
   木+囗+王+丶
 槶=木+國
   木+囗+或
   木+囗+戈+口+一
   カイ
   くぬぎ
   ブナ科の落葉高木
   はこ
   箱の内側
 ↓↑
 筥=竹+呂・・・呂=節で接続する背骨
   竹+口+丿+囗
   キョ
   いねたば
   はこ・筒状の丸いはこ
   いねたば
   いねたばをはかる単位
 ↓↑
 箱=竹+相
   竹+木+目
   𠂉+丨+𠂉+亅+十+八+目
   ショウ
   ソウ
   はこ
   ものを入れるもの
   竹製のはこ
   はこの総称
   にぐら
   車内にある人や物をのせる荷受け
   ひさし
   母屋・正寝の両側にある部屋
 ↓↑
 箪=竹+単
   竹+⺍+田+十
   竹+丷+田+十
 簞=竹+單
   竹+吅+日+十
   竹+口+口+日+十
   タン
   はこ
   ひさご
   わりご
   竹で編んだ丸いうつわ
   竹で編んだ箱
   ひょうたん=瓢箪
 ↓↑
 匹=匚+儿
   匸+儿
  ↓↑
 「粛慎 挹婁 之 海蛮」
 「粛慎=息慎」の後裔・・・→勿吉→靺鞨・・・
 「成帝(在位325年~342年)の時代
  後趙
  石虎(在位334年~349年)に朝貢」・・・字は「季龍」
 「上党郡武郷県(山西省 楡社県の北西)」出身の
 「羯」族
 「後趙の初代皇帝
  石勒の従子(甥)」
 ↓↑
 挹婁
 ・・・漢・魏時代に東北地方東部・沿海州にいた種族
  三世紀前半(200~250)
  夫余の支配を脱して一時勢力を強めた
  夫余=夫が余る・・・女性が少ない?
  挹婁 在 夫餘 東北千餘里
  濱 大海南 與 北沃沮 接
  未知 其北所極 其土地多山嶮
     其人形似
  夫餘 言語 不與 夫餘 句麗 同
  有 五穀 牛馬 麻布
 ↓↑
 舒明天皇
 ↓↑・舒=舍+予
    予言・預言・伊豫=伊予=壹與
   「古事記・序文」
    舍=人+舌・・・舎人(とねり)=倌
           「譯=訳」音理?
        舌・・・した=下・詞他・史他
      人+千+口
      シャ
      セキ
      いえ
      おく
      やど
      やどる
      いえ・建物・屋敷
      やどや・旅館・宿屋
      泊まる
      休む・憩う
      軍隊が一日に進む距離・約三十里
      自分
      身内を謙遜していう語=舍弟
      ゆるす・ゆるして釈放する
      その場に置く・放置する
      すてる=捨⇔拾=ひろう=十=足=蘆
          舎⇔合
          土⇔一=壹・壱・位置・市・伊地・鴪
          土=十+一=拾うイチ・足の肇(はじめ)
          棄・損・喜捨・遺棄・廃棄
          棄損=キソン=毀損
          棄=亠+厶+丗+木=弃=云+廾
                     亠+厶+廾
            亠+厶+廿+丨+木
            キ
            すてる・ほうる・なげすてる
            やめる・しりぞける
            ↓↑
            毀=臼+土+殳
            臼+土+几+又
            臼+十+一+几+又
            キ
            こぼつ・こわす・やぶる
            そこなう・傷つける
            そしる・悪口を言う
            やせほそる・やつれる
            幼児の乳歯が抜けかわる
 ↓↑ ↓↑  ↓↑          ↓↑
    帷蓋不棄(イガイフキ⇔「意外・以外」付記)
    駄目なモノでも、何かに利用出来る
    捨てるのが「もったいない」
    帷=部屋の仕切りの垂れ幕・帷帳
    蓋=車を覆う布・天蓋・幌
    不棄=捨てず
   「帷と蓋」=死んだ動物を覆って
    埋める時に使うもの
    動物を大切にすること
   「帷蓋棄てず」
 ↓↑ ↓↑  ↓↑
    棄灰之刑(キカイシケイ⇔記甲斐詩形?)
                 甲斐の山々
                   簒纂?
    刑罰に慈悲が無く、極めて厳しい
    棄灰=道路に灰を捨てること=軽犯罪
    殷の時代、道路に灰を捨てた人は、死刑
    厳しい刑罰で人々に
    法を犯す恐ろしさで秩序を維持した
   『韓非子(内儲説・上)』・・・韓は子に非ず
                  内緒の説は上
 ↓↑ ↓↑  ↓↑
    棄甲曳兵(キコウエイヘイ⇔「奇行・寄稿
                  紀行」英兵?)
    戦いに負け、戦意を失って逃亡
    棄甲=鎧を脱ぎ捨てる
    曳兵=武器を引きずって歩くこ
   『孟子(梁恵王・上)』
 ↓↑ ↓↑  ↓↑
    自暴自棄(ジボウジキ⇔ジ自某「自記・時記」?)
    やけくそで
    もうどうにでもなれと
    希望を捨てたり
    投げやりになること
    自暴=やけくそで自分を損なうこと
    自棄=自分を見捨てること
   『孟子(離婁・上)』
   「婁」と離れる・・・?
  「離婁=視力がすぐれ、百歩離れた所からでも
       毛の先が見えた人物・異名は離朱」
   婁=吕+十+女(乚丿一)=娄=米+女
              =乚=乙=L
                   レデイ(lady)
                   ロング(long)
               亜「米」利加の「女」?
               白水郎=あま=阿麻・亜麻・海女
                   阿部・阿毎・海士・海部
               雨=あめ=編・天・海・飴
                 あま=尼・甘・蜑
     むなしい・あらい・おさめる
     ひく・ひきよせる・ひきずる
     つなぐ・つながれる・牛をつなぐ
     むなしい・から・中が空であるさま
     婁=娄=巻きあげた髪型・縒(撚)って結った髪の毛
     樓(楼)閣は「卑弥呼」の居場所
     群衆・天獄・塿と通じ、小さな丘
     牧畜を管理する役人 うお座
     彦星・牽牛・牛郎
     アルタイル(Altair)=牽牛・鷲座=わしざ=和史差
     アルタイル=鷲(わし)座の主星
             倭詞・和史
     和名 の彦(ひこ)星
          比古・毘古
        犬飼星(いぬかいぼし)
        ↓↑
        鵲(かささぎ)が「橋=∩」・・・天の川・銀河・漢河
        ↓↑
     㜢=ベガ=織女・琴姫・織姫・七夕姫
          棚機津女
             比売・比賣・咩売
     婁(かさなる)+α・・・娄+α
       髑髏(どくろ)・襤褸(ぼろ)
       鏤氷・鏤塵(塵にきざむ)・吹影鏤塵(影を吹き塵にきざむ)
       屢々と屍・縷々と続く・無限な數
       藪睨み
       巻婁=けんる・手や足がひきつり
   thread(スレドゥ)・detailed(ディテール)・precise(プリサイス)
   frequently(フリークウェントゥリィ・たびたび)
   tie(タイ・むすぶ)・・・帯・他意・碓・台・替・太・鯛?
   二十八宿の一
   西方の第二宿
   牡羊 (おひつじ) 座の
   頭部分の三星
   たたらぼし・・・多々良・多々羅・蹈鞴
           鑪=金+盧・鈩・鞴・吹子
           瘻=首のあたりの腫れもの
   婁宿=西方白虎七宿の第2宿
 ↓↑ ↓↑
  お螻蛄(けら)=採餌行動も地中で行う
   成虫の体長
   30mm~50mm
   全身が褐色
   金色の短い毛が
   ビロードのように密生
   触角や脚が短い
   頭部と前胸部は卵型
   後胸部・腹部は前胸部より幅が狭い
   尾端には
   触角と同じくらいの
   長さの尾毛が2本
   成虫に翅
   前翅は短く
   後翅は長い
   オスの前翅の翅脈は複雑で
   鳴くための
   発音器官
   メスの翅脈は前後に平行に伸びたもの
   ケラ類はメスもわずかに発音できる

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 ↓↑ ↓↑
   穴掘りへの適応
   前脚は
   腿節と脛節が太く頑丈に発達
   脛節に数本の突起
   モグラの前足のような形
   前脚で
   土を掻き分けて土中を進む
   頭部と胸部がよくまとまって
   楕円形の先端を構成
   全身が筒状
   体表面に細かい毛が密生
   Mole cricket=モグラコオロギ
 ↓↑ ↓↑
   草原や田、畑などの
   土中に巣穴を掘って地中生活
   水を多く含んだ
   柔らかい泥地や湿地
   水分不足
   飢餓に弱い
   水上では全身の短毛が
   水を弾いて水に浮き
   脚で水面を掻いて泳ぐ
   長く発達した後翅を広げて飛ぶ
   オスは初夏によく鳴く
   天敵
   鳥類、カエル、イタチ、タヌキ、モグラ
   ムクドリはケラをよく摂食
   小鳥の餌として
   江戸近郊の農村に
   ケラの採集と納入が課せられていた
   ・・・「おけら」
   遊泳、疾走、跳躍、飛翔、鳴き声、穴掘り
   など多芸だが一流の専門能力がない
   器用貧乏=「おけらの七つ芸・けら芸」
   ケラケラとワラウ・・・?
        倭の螺の鸕(鵜)・・・潜る、潜水する・・・

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 ↓↑ ↓↑   ↓↑
  「婁 昭君(ロウ ショウクン)」
   501年~562年
   東魏の権臣
   高歓の妻
   北斉に革まると
   皇太后
   諡号   武明皇后
   鮮卑
   婁内干の娘
   城上執役の
   高歓を見初め
   「これが真にわが夫なり」
   と私財を幾度か使って招き
   父母もやむをえず婚姻を許した
   高歓が豪傑たちと交友し
   策謀を練る時は
   婁昭君はいつも参加
   高歓が
   渤海王・・・渤海王=燕国+満州
   となると
   婁昭君は
   渤海王妃となった・・・
 ↓↑ ↓↑
   婁昭君
   明晰、決断力
   倹約を尊び
   内外の往来にあたっても
   侍従は10人を越えなかった
   高歓が西征時
   婁昭君は夜半に
   男女の双子を産み
   危篤に陥った
   側近たちは
   高歓に危急を知らせようとしたが
   婁昭君は
   「王は大兵を統べておられ
      どうして
      私のために軽々しく
      軍幕を離れることができましょう
      死生は運命です
      来たところで
      何ができましょう」
   と言った
   537年
   「沙苑の戦い」で
   高歓が敗れると
   侯景
   が精鋭の騎兵2万があれば
   失地を恢復できると述べ
   高歓は
   婁昭君に相談すると
   婁昭君は
   「もしその言葉の通りにすれば
      帰還する道理がなく
      あたら侯景を失うこととなりましょう
      なんの利益もありません」
   と言って止めた
   高歓は
   柔然
   可汗
   阿那瓌
   の娘をめとりたいと考えていたが
   決断を下していなかった
   婁昭君は
   「国家の大計は
      逡巡してはいけません」
   といった
   柔然の公主
   蠕蠕公主がやってくると
   婁昭君は自ら
   正室の座を降り
   公主を
   高歓の正室に立てさせた
   高歓は
   婁昭君に拝謝した・・・
 ↓↑ ↓↑
   婁昭君は
   同腹異腹にかかわらず
   高歓の諸子をいつくしみ
   自ら機織りして
   諸子に袍衣を与えた
   戎服を手縫いし
   将軍や側近たちに与えた
   弟の
   婁昭は功績を挙げて栄達したが
   その他の親族に
   爵位を請求したことがなかった
   婁昭君は
   人材を適材適所に用い
   公私混同を諫め
   547年
   高澄が
   渤海王位を嗣ぐと
   婁昭君は
   太妃に進んだ
   高洋(文宣帝)が
   東魏から
   帝位の禅譲を受けようとすると
   婁昭君は固く反対した
 ↓↑ ↓↑
   550年
   北斉に革まると
   婁昭君は
   皇太后となり
   宣訓宮と称された
   559年
   高殷(廃帝)が即位すると
   太皇太后となった
   尚書令の
   楊愔らが
   文宣帝の遺詔を受け
   輔政にあたり
   宗室の諸王に憎まれた
   婁昭君は
   常山王
   高演(孝昭帝)らと
   はかって
   楊愔を殺害し
   廃立の令を下した
   560年8月
   高演が即位
   再び皇太后
   561年11月
   高演が死去すると
   長広王
   高湛(武成帝)を立てた
   562年春
   病に伏せ
   巫媼の言を用いて
 ↓↑  ↓↑  ↓↑
   「石」氏に改姓・・・「石(いし)」=磐・岩
 ↓↑  ↓↑
   4月辛丑
   鄴の北宮で死去
   享年62
   5月甲申・・・皐月の甲(きのえ)申(さる)
   義平陵に
   合葬された
 ↓↑ ↓↑
   婁昭君の死の直前
   「九龍の母が死して孝をなさず」
   という童謡が世間で歌われた・・・
   婁昭君が死去したとき
   武成帝は
   喪服を着けず
   緋袍のままであり
   まもなく
   三台に登り酒を置いて
   音楽を鳴らさせた
   武成帝の娘が
   白袍を進めたところ
   武成帝は怒って
   白袍を台の下に投げ落とした
   和士開
   が音楽を止めるよう上奏したが
   武成帝
   は怒って
   彼を鞭打った・・・
 ↓↑ ↓↑
   男子
   文襄帝    高澄
   文宣帝    高洋
   孝昭帝    高演
   襄城景王 高淯
   武成帝    高湛
   博陵
   文簡王    高済
   女子
   孝武皇后   (北魏の孝武帝の皇后)
   太原長公主(東魏の孝静帝の皇后)
  ・・・原文はスベテ「https://ja.wikipedia.org/wiki/」・・・
 ↓↑ ↓↑  ↓↑
      噬指棄薪(ゼイシキシン⇔税式令む?)
      母と子の気持ちが
      お互いに通じること
      噬指=指を噛む
      棄薪=薪(たきぎ)を捨てる
      後漢
      蔡順が薪を採りに行っている間
      来客があり
      母が困って自分の指を噛むと
      その気持ちが通じ
      蔡順が薪を捨てて帰ってきた
     『後漢書(周令む磐伝)』
 ↓↑ ↓↑  ↓↑
      絶巧棄利(ゼッコウキリ⇔絶好記理?)
      便利な機械を捨て
      自然の生活に戻ること
      絶巧=技巧を凝らした道具を捨てること
      棄利=便利に作られた道具を捨てること
     「巧を絶ち利を棄つ」
     『老子(十九章)』
 ↓↑ ↓↑  ↓↑
      背信棄義(ハイシンキギ⇔配信起義?)
      信義に背いて、道義を捨てること
      背信=信頼、信義の裏切り
      棄義=人としての道義を忘れること
     『北史(周紀)』
 ↓↑ ↓↑
   舒=人+舌+龴+乛+亅
     人+千+口+龴+乛+亅
     ショ・ジョ
     のばす
     のべる
     ゆるやか
     のばす・広がる
     述べあらわす
     ゆるやか・おだやか
     遅い・静か
     順序をつける・ついでる
 ↓↑ ↓↑ ↓↑ ↓↑
   予=龴+乛+亅
     ヨ
     あたえる
     あらかじめ
     かねて
     ゆるす
     われ
     あらかじめ・かねて・前もって
     ためらう・ぐずぐずする
     よろこぶ・楽しむ
     あたえる・さずける
     われ
     自分=余
 ↓↑
 百済に派遣されていた
 舒明天皇十三年(641年)
 天皇崩御
 642年
 百済の弔使を伴って帰国
 義慈王の甥、or 子・・・?
 百済王子
 翹岐(ギョウキ)=扶余 豊璋と同一人物?
 を自分の家に迎えた
 ↓↑
 斉明天皇七年(661年)
 高句麗が唐の攻撃を受け
 百済救援の将軍となり、百済に渡った
 662年
 渡来した百済の王子
 豊璋=余豊璋・余豊・豊璋・豊章
    扶余豊・豊・翹岐?
 に王位を継がせようと
 水軍170隻を率いて
 王子と共に百済に渡った
 大錦中に任じられた
 天智天皇二年(663年)
 八月二十七~二十八日
 「白村江の戦い
 で戦死
 ↓↑
 『日本書紀(巻第二十四)』
 皇極天皇元年(642年)
 一月
 阿曇連比羅夫の筑紫国からの情報
 百済が大乱状態
 が伝わり
 正月
 国王の母が死亡
 弟王子の子
 翹岐
 その同母妹たち
 百済の高官40人あまりが
 島流しにされた・・・
 ↓↑
 同月
 高句麗の使者より
 高句麗でも
 前年(641年)六月
 弟王子(太陽王)が薨去
 九月
 伊梨柯須弥(いりかすみ)
 が
 大王(こきしむ=栄留王)
 を弑逆し
 重臣180人あまりを殺し
 太陽王の子を
 王(宝蔵王)とした
 同姓の
 都須流金流(つするこむる)
 を大臣として実権を握った・・・
 『旧唐書(高麗伝)』
 貞観十六年(642年)の出来事と記録
 『書紀』の記述と1年の差がある
 ↓↑
 大和は
 高句麗百済
 の客(まろうと)を
 難波の郡(こおり)で
 饗応後
 蘇我蝦夷
 に詔をして
 ↓↑
 津守連大海(つもり の むらじ おおあま)…高句麗
 国勝吉士水鷄(くにかつ の きし くいな)…百済
 草壁吉士真跡(くさかべ の きし まと)…新羅
 坂本吉士長兄(さかもと の きし ながえ)…任那
 ↓↑
 にそれぞれ使いを出すことが決定
 「津守大海」
 のみ連姓を有し
 他の3名よりは高い地位にあった
 津守連氏
 八色の姓制定により
 684年(天武天皇十三年十二月)
 宿禰の姓を与えられた
 津守宿禰氏=尾張宿禰同祖
 『新撰姓氏録摂津国神別)』
 「天火明命八世孫大御日足尼之後也」
 「大御田足尼(津守氏系図)」と表記
 「意富弥多宿禰=津守宿禰遠祖也(津守氏系図)」
 津守連氏は
 「和泉国神別」に
 「火明命の神 男天香山命の後裔」
 「神功皇后摂政前紀12月条」に
 津守連の祖
 「田裳見宿禰(たもみ の すくね)」が記録
 「津守氏系図」では
 「手搓足尼」と表記
 ↓↑
 欽明天皇時代
 己麻奴跪(こまなこ)が
 百済に派遣
 巻第二十六
 斉明天皇時代
 遣唐使になった
 吉祥(きさ)
 らのことが記述
 ↓↑
 後
 三月
 新羅
 皇極天皇の即位を祝う
 賀登極使
 舒明天皇
 弔喪使
 を派遣
 五月
 百済の調の使の船
 国勝の吉士の船が
 難波津に停泊
 百済の使者が進調
 吉士が服命(帰朝報告)
 八月
 高句麗の使者が
 帰国の途につき
 百済新羅の使者が帰国
 十月
 新羅の弔使の船
 と
 賀騰極使の船が
 壱岐島に停泊
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 オドゥ・モドゥ(やなぎ)
 ボルガス=ヤナギの類
 ↓↑
 モンゴル語
 ↓↑
 アミタン(動物)
 ノホェ(犬)
 ゼルレグ・ガハェ(いのしし)
 ダラェン・ガハェ(いるか)
 トーラェ(うさぎ)
 アドー(馬)
 ボフ(雄牛)
 ウヘー(雌牛)
 メルヒー(蛙)
 アルマーン(かば)
 ヤストゥ・メルヒー(かめ)
 ウネグ(きつね)
 アナーシ(きりん)・・・麒麟
 ハリム(くじら)
 バーウガェ(熊)
 サリサン・バグワーハェ(コウモリ)
 ヒルス(さい)
 サルマグチン(さる)・・・さる?
 ボガ(鹿)
 アルスラン(獅子)
 エレーン・タヒ(しまうま)
 ザーン(象)
 グルウェル(とかげ)
 バル(虎)
 モール(猫)
 ホルガナ(ねずみ)
 ホニ(羊)
 イルウェス(豹)
 ガハイ(豚)
 モゴェ(へび)
 ソホル・ノミン(もぐら)
 ヤマー(やぎ)
 テメー(らくだ)
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 朝鮮王朝
 世宗時代
 東北面の
 女真族の来襲に備え
 豆満江
 下流南岸に設置
 六要地
 ↓↑
 鍾城
 穏城
 会寧
 慶源
 慶興
 富寧
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