嫁鶏 随鶏(かけい ずいけい=家系 図 医系・異系)・・・?

 2881日目・文字霊日記

 「アメの訪問者」・・・「マルレーヌ・ジョベール」・・・
 (フランス語原題 Le passager de la pluie
  英題 Rider on the Rain)
 ↓↑
 かさぶらんか=6~8月に咲くユリ・・・as time goes by
 ↓↑
 「アンファ」は
    ・・・「案付蛙」?・・・「編む符蛙(ア・かえる)」・・・
        暗怖鴉? 
 海賊の港だったが
 ポルトガル葡萄牙)に
 「アンファ」が焼き払われ
 カサブランカ(Casablanca・ad-dār al-bayḍāʼ)
        笠(傘・嵩・暈・量・瘡・套・葢・加佐) 振らんか
 ↓↑      化作部覧歌
 「白い家」となった・・・笠  沙    御前
            (かさ  さ  の みさき)
             リュウ サ    ゴゼン
             笠  狭 ( かささ ) の岬
             笠  紗  之 御前而
             鷑  咲
             鷑鳩
       鷑鳩一名 鵧鷑郭 云小黑鳥 鳴自呼江東名為烏鵙
                小さな黒い鳥
            尾羽は長く、二股に分かれている
            口、足、目は黒・巻き尾
            若い鳥には白い模様のある灰色の腹
            江東省ではカササギを「呉鳥」と呼んだ・・・
            江東省での名は「武進・無錫」
            呉秋の「巻き尾」・黒オマキザル
           「ワシとクロウタドリを突き」
           古代人は誤ってチドリ科の猛禽類だと思っていた
            カラスより小さいが他の鳥に攻撃的に遂撃
 ・・・「カサブランカ(Casa Blanca)は6~8月に咲くユリ科の花」

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 ↓↑ 
 1515年
 ポルトガル人によって町が再建
 町を
 「Casablanca」と名付けた
 1755年
 リスボン地震
 ポルトガル
 カサブランカを撤退
 1912年
 モロッコ
 フランスと保護領条約を締結
 ↓↑
 カサ  ブ   ラン  カは
 笠・傘 歩・巫 乱・覧 科 ?
 量   分   等無  化 ?
 ↓↑
 フランスの保護領となった・・・
 ・・・Play it, Sam. Play 'As Time Goes By.・・・
 「 as time goes by
  アズ・タイム・ゴーズ・バイ
  明日 他意ム 語得亠 唄 ?
  as time goes by
   (時の過ぎ行くままに?) 」
 「Here's looking at you, kid.」
  ↓↑
 「随」
 「随時(ヅイジ・ズイジ)」
 「成り行きにまかせる」
 「その都度」
 「毎時・毎回」
  ↓↑
 「逐」
 「逐時(チクジ)」
 一定の期間ごと
 毎時間・毎時
 逐時経過・逐時観察
 「逐次(チクジ)」
 その都度、毎回
 「逐字(チクジ)」
 原文の文字を
 一字一字追っていくこと
 「逐語」
 順を追って
 次ぎ次ぎに行われるさま
 順次
  ↓↑
 「逐一(チクイチ)」
 「一つ一つ順を追うこと」
 「いちいち詳細に」
 「逐」
 「順を追って進む」
 「逐撃」
  ↓↑
 「都度」
 「そのたびごとに」
 「毎回」
  ↓↑
 都=者+阝=都
   耂+日+阝
 都=者+阝
   者+丶+阝
   耂+日+丶+阝
   ツ
   ト
   みやこ
   すべて・・・都合
   天子の宮城のある地
   みやこする・都を定める
   大きな町
   みやびやか・上品で美しい
   集まる・集める
   統べる。
   すべて=全て・みな=皆
   ああ・感嘆の声
 度=广+廿+又
     廿=卄+-
       廾(にじゅうあし・こまぬき)
  ジュウ
       にじゅう
       二十・十の二倍 
   ド
   タク
   ト
   たび
   のり
   はかる
   めもり
   わたる
   ものさし
   長さをはかるための基準
   決まり・規則・法則
   たび・回数
   角度や温度などの
   程度を示すもの
   心の広さ・器の大きさ
   度胸
   わたす=渡
   出家する・仏門にはいる
   長さをはかる・みつもる
   おしはかる・推測する
   たい
  「~したい」
   と願い望む意の助動詞
 ↓↑    ↓↑
 随時・・・隋時・隋字・隋児
      随⇔髄・・・真髄・神髄・心髄・・・真瑞・信瑞
      隨・・・・・蕊・蘂・ヅイ
      随喜=ズイキ=芋茎
         ・・・糸瓜・天糸瓜(へちま)・瓜(うり)
            絲瓜(シカ)
            成熟した果実は強い繊維性の網状組織が発達
            へちま水
            去痰作用・咳止め効能
            タワシ(束子)
            芋茎=サトイモやハスイモなどの葉柄
 ↓↑
 隋王朝
 楊 堅(文帝)・・・文綴?
 541年7月21日
 ~
 604年8月13日
    大運596年6月(54歳)~606年
                 己┏丑 偏官・
 辛 酉(庚 辛)偏印・偏印 病⇔甲┏子
 乙┏未(丁乙己)食神・偏官 墓⇔壬┗申
┏癸┗丑(癸辛己)  ・偏官冠帯⇔丁┏未
┗戊┗午(丙 丁)正官・偏官 絶⇔
   寅卯空亡
 ↓↑
 隋の初代皇帝
 在位
 581年3月4日~604年8月13日
 小名 那羅延
 諡  文皇帝
 廟号 高祖
 父  楊忠
 母  呂苦桃・・・呂の苦の桃(もも)
 后妃 独孤皇后・・・父は独孤 信(どっこ しん、502年 - 557年)
           西魏匈奴系軍人・武川鎮軍閥の重鎮
           娘たちはこの軍閥から出て
           関隴集団系
           拓跋国家を樹立した
           宇文氏(北周
           楊氏(隋)
           李氏(唐)
           のいずれにも嫁いだ
           本名は如願
           字は期弥頭
           本貫は雲中郡
 第2代皇帝
 煬帝の父
 男子
 廃太子 楊勇(房陵王)
 晋王 楊広(煬帝
・・・在位604年8月21日 ~618年4月11日
      煬帝唐王朝による追諡
      名  楊広
      別名 英
      小字 「阿麼」・・・アマ・アメ
麼=麻+幺=麽=嚒
        广+林+幺
        广+木+木+幺
        バ
        マ
        モ
        かすか・小さい・細かい
        か・や
        疑問をあらわす助字
        接尾語
        疑問詞
        などの後につけて語調を整える
        么=幺
        簒=簒奪・么=幺・・・公の丶が欠ける
        纂=編纂・糸=幺+丿+亅+丶
       「么=丿+ム=幺」≠「糸=幺+小」
 秦王 楊俊・・・秦孝王
         字は「阿祗」
         祗=示+氐
        礻+氐
        示+氏+一
        示+氏+丶
        礻+氏+一
        礻+氏+丶
        シ
        ただ
        つつしむ・うやまう
        ただ・まさに
        限定の意
     楊堅
     独孤伽羅・・・独孤 伽羅(から)
     の間の子
 蜀王 楊秀(庶民に落とされた)
 漢王 楊諒(庶民に落とされた)
   諒=言+京
      言+亠+口+亅+ㇵ
 女子
 楽平公主 楊麗華(北周宣帝の皇后)
 襄国公主(李長雅の妻)
 広平公主(宇文静礼の妻)
 蘭陵公主(字は阿五、柳述の妻)
        阿悟、留述
           柳=やなぎ=邪(耶)名義? 
 ↓↑
 楊堅
 「那羅延」・・・ナラエン=「奈良」に「延」ばす?
           延=廴+丿+止(卜丄)
 という
 鮮卑風の・・・鮮の卑
 小字
 を持っていた
 楊氏
 元々は
 鮮卑
 の出身で
 本来の姓が
 普六茹・・・普六茹(ふりくじょ)=鮮卑語の柳・楊
       普(あまねし・フ・ホ)=並+日
       六=亠+ㇵ=陸
       茹(ゆでる・ジョ・ニョ)=艹+女+口
 で
 北魏
 漢化政策の際に付けられた姓が
 楊
 である・・・
 ↓↑
 ・・・隋王朝の時
 ・・・「俀王 姓 阿毎 字 多利思北孤 號 阿輩雞彌」
 随=阝+迶=隨
   阝+辶+有
   阝+辶+ナ+月
 隨=阝+辶+左+月
   阝+辶+ナ+工+月
   ズイ
   したがう
   ついていく・よりそう
   成り行きにまかせる
   易(エキ)の六十四卦の一
  ↓↑
  迶=辶+有
    辶+ナ+月
    ユウ
    歩くさま・行くさま
 ↓↑
 有+α
 賄・・・賄賂
 鮪=まぐろ
 郁=イク
   かぐわしい
   さかん
   ふみ
   香気漂ようさま
   あたたかい
   文化のさかんなさま
 肴=さかな・酒菜・魚
   ・・・佐仮名 ?
      差仮名 ?
 宥=ユウ
   なだめる
   ゆるす
   責めない・とがめない
   大目にみる
   気持ちをやわらげ静める
   宥恕・宥免・宥和
   恩宥・寛宥・赦宥
 侑=ウ
   ユウ
   すすめる
   たすける
   むくいる
   ゆるす
   料理やお酒などをすすめる
   かばってたすける=佑
   お礼をする。
   罪などをゆるす
 囿=ユウ
   その
   苑(その)
   鳥や動物などを放し飼いにする庭
   畑・菜園
   物事が多く集まっている所
   とらわれる=因われる
   こだわる・見識が狭い
 陏=タ・ダ
   ズイ
   うり=瓜・うりの実
   古代中国の地名
 䳑=ユウ
   あじ
   鳥の名・きじ(雉)の類
   あじあじがも
   鳥の名・カモ科の鳥
   ともえがもの古名
 蛕=回虫(かいちゅう)
   人や動物の消化器官の寄生虫
 姷=女+ナ+月
 栯=イク
   栯李(いくり)=バラ科の落葉低木
   庭梅(にわうめ)
 㤢=心+有
 戫=有+或
   月+戈+口+一
   イク・ヨク
   模様が美しい・あやのあるさま
   非常に速い
 䨖=雨+有=霽=雨+齋
   雨+月
   サイ・セイ
   はれる・空が晴れる
   気持ちがすっきりする
 䆜=穴+有
   宀+八+月
 賄=貝+有
   貝+月
   ワイ
   カイ
   まかなう
   まいなう
   宝・財貨
   まいなう
   まいない。贈り物。わいろ。
   まかなう
   食事の世話をする
   きりもりする・やりくりする
 痏=殴られるなどしてできた傷
 酭=ユウ
   報いる・杯する
   酒食を相手に勧める
 銪=ユウ
   化学元素の一・ユウロピウム
 龓=有+龍
   有+龍+龙
   ロウ・ル・イウ・ウ
 ↓↑
 哊峟洧
 烠珛絠
 詴㤫㬼
 䀁䒴䞥
 䵋
 ↓↑
 意到筆随
 (いとうひつずい=伊藤比通随?)
  文章を作るときに、思ったままに筆が進むこと
  文章を書きたいと思う気持ちのままに筆が進む
 「意至りて筆随う」とも
   『春渚紀聞』「東坡事実・文章快意」
   類義語 意到心髄(伊藤 真髄)
 ↓↑
 嫁鶏随鶏
 (かけいずいけい=家系図医系・異系?)
  妻が夫に従うことのたとえ
  雌の鶏が雄の鶏に従うという意味
 「嫁鶏鶏に従う」とも
 ↓↑
 管仲随馬
 (かんちゅうずいば=漢注随話?)
  聖人の知恵を借りること
  昔の人の経験を尊重すること
 「管仲」・・・管 夷吾(カンイゴ)
        春秋時代
       「斉国」の政治家
        ・・・日本思想の原点=管仲
        桓公に仕え、覇者に 押し上げた
        親友は「鮑叔」・・・アワビの叔父
        叔=兄弟の三番目
        年齢の順に上から「伯・仲・叔・季」
        末の世
 「随」は従う
  春秋時代、名宰相の管仲
  戦いから帰るときに道に迷い
  馬を放ち、馬の後についていくと
  帰ることができた
 「管仲馬に随う」とも
 ↓↑
 銜尾相随
 (かんびそうずい=完備総随?)
  一列に連なって、切れ目なく進む様子
  「銜尾」は後ろの馬が
   前の馬の尾をくわえること
  「相随」は前のものについていくこと
   狭く険しい山道などで
   前の馬の尾を後ろの馬が加え
   一列になって
   前についていくという意味
  「銜尾相随う」とも
   『漢書』「匈奴伝」
   類義語 銜尾相属(巻尾相続?)
 ↓↑
 形影相随
 (けいえいそうずい=継泳・経営・桂栄総随?)
  心の善悪が行動に出ること
 「形影」は姿形と影
  影は体の動きと
  同じ動きをするということ
 「形影相随う」とも
   『列子』「説符」
 ↓↑
 彩鳳随鴉
 (さいほうずいあ=西法随蛙?)
  女性が身分の劣る男性に嫁に行かされること
  そのことに不満を持つこと
  美しい鳳が
  鴉に嫁ぐというたとえ
  妻が夫のことをいい加減に扱うこと
  劉将孫「沁園春」
 ↓↑
 水随方円
 (すいずいほうえん=推隋法縁?)
   民の善悪は政治を行うものによって感化される
   人は環境や人間関係次第で
   善悪のどちらにも感化される
  「随」は従うこと
  「方円」は四角いものと円いもの
   水は容器の形に従って
   四角にでも円にでもなる
   『韓非子』「外儲説・左上」
 ↓↑
 随鴉彩鳳=彩鳳随鴉
 (ずいあさいほう=随蛙西法?)
 劉将孫「沁園春」
 ↓↑
 随縁放曠
 (ずいえんほうこう=隋援奉公?)
   どんな因縁にも縛られることなく
   気の向くまま自由に振舞うこと
   因縁に任せて物事にこだわらず
   のびのびとしていること
  「随縁」は縁に従って物が生まれて変化すること
  「放曠」はなにものにも縛られず心が自由なこと
 ↓↑
 意到りて筆随う
 (いいたりてふでしたがう)
 思いのままに筆が動いて文章が書けること
 自分が書く気になれば
 筆がひとりでに随ってくるという意
 『春渚紀聞』
 ↓↑
 影の形に随うが如し
 (かげのかたちにしたがうがごとし)
 いつもいっしょにいて離れないこと
 ↓↑
 随徳寺をきめる
 (ずいとくじをきめる)
 後先かまわずに一目散に逃げ出すこと
 「ずいと出て行く」をしゃれで
 寺の名に仕立てた
 「一目散」を山号になぞらえて
 「一目山隋徳寺」とも
 ↓↑
 善悪の報いは影の形に随うが如し
 (ぜんあくのむくいは
  かげのかたちにしたがうがごとし)
 ↓↑
 水は方円の器に随う
 (みずはほうえんのうつわにしたがう)
ーー↓↑ーー
 紀元前333年
 ローマ暦年
 ローマ建国
 紀元421年
 干支 戊子
 日本
 皇紀328年
 孝安天皇六十年
 中国
 周=顕王三十六年
 秦=恵文君五年
 楚=威王七年
 斉=威王二十四年
 燕=文公二十九年
 趙=粛侯十七年
 魏=恵王後元二年
 韓=昭侯三十年
 ↓↑
 マケドニア王国
 アレクサンドロス3世
 小アジア西部を攻撃
 リュキア
 ピシディア
 を征服
 ↓↑
 アケメネス朝
 ペルシア
 ダレイオス3世
 ペルシアに亡命していた
 ギリシア傭兵隊長
 カリデーモスを
 イッソスの戦いへの準備をしたとし処刑
 ↓↑
 アレクサンドロス3世
 キリキアでの
 イッソスの戦いで
 ペルシア軍に大勝
 ダレイオス3世は
 妻
 2人の娘
 母の
 シシュガンビス
 多くの財宝を残して逃亡
 家族は
 アレクサンドロス3世
 に捕らえられたが、厚遇
 ↓↑
 アレクサンドロス3世
 将軍ネアルコスを
 新しく得た
 リュキア
 パンフィリアの
 サトラップに
 将軍
 アンティゴノス1世を
 フリギア
 サトラップにした
 ↓↑
 ペルシア軍を拠点から孤立させるため
 イッソスから南の
 シリアとフェニキア
 まで進軍
 ビブロス
 サイダ
 を得ると
 ティルス
 を包囲攻撃
 ダレイオス3世からの
 和平を求める手紙の返事として
 アレクサンドロス3世は
 ダレイオス3世の
 無条件降伏を要求
 ↓↑
 中国
 楚が
 斉を攻撃
 斉軍を破り
 徐州を包囲
 斉の
 田嬰が
 張丑を派遣し
 楚の
 威王を説得すると
 楚は軍を返した
ー↓↑ーーー
 紀元前133年
 干支 戊申
 日本
 開化天皇二十五年
 皇紀528年
 中国
 前漢 元光二年
 ↓↑
 ローマ
 執政官
 ルキウス・カルプルニウス・ピソ・フルギ
 と
 プブリウス・ムキウス・スカエウォラ
 ヌマンティア戦争
 スキピオ・アエミリアヌス
 率いるローマ軍により
 ヌマンティアが陥落
 ティベリウスグラックス
 護民官
 無産市民救済のための
 「センプロニウス農地法」を提出
 元老院支持者によって殺害
 ティベリウスの死を契機に
 ローマは
 「内乱の一世紀」へ突入
 アッタロス朝
 (ペルガモン王国)の
 国王アッタロス3世が死去
 遺言により
 王国がローマへ遺贈
 ↓↑
 中国
 六月
 李広
 らが率いる30万の前漢軍が
 朔州で
 匈奴軍を迎撃した
 (馬邑の役)
ー↓↑ーーー
 紀元前33年
 干支 戊子
 日本
 崇神天皇六十五年
 皇紀628年
 中国
 前漢 竟寧元年
 朝鮮
 高句麗 東明聖王五年
 新羅 赫居世二十五年
 檀紀2301年
 仏滅紀元 511年
 ↓↑
 アレクサンダー・ヘリオス
 メディア王国の
 イオタパ姫と結婚
 アウグストゥス
 2度目の執政官
 もう1人は
 ルキウス・ウォルカキウス・トゥッルス
ー↓↑ーーー
 紀元前3年
 干支 戊午
 日本
 垂仁天皇二十七年
 皇紀658年
 中国
 前漢 建平四年
 朝鮮
 高句麗 瑠璃明王十七年
 新羅 赫居世五十五年
 百済 温祚王十六年
 ↓↑
 前漢建平四年、正月
 大規模旱害
 西王母騒動
 民衆は
 西王母を祀り踊り
 各地に伝わり
 秋に収束
ー↓↑ーーー
 3年
 干支 癸亥
 日本
 垂仁天皇三十二年
 皇紀663年
 中国
 前漢 元始三年
 朝鮮
 高句麗 瑠璃明王二十二年
 新羅 赫居世六十年
 百済 温祚王二十一年
 ↓↑
 前漢元始三年
 王莽
 礼制・学制の改革開始
 帝舅衛氏
 何武・・・何の武?
 鮑宣
 の漢の忠臣を殺害
 ↓↑
 高句麗
 瑠璃明王
 卒本城から
 丸都城に遷都
 ↓↑
 垂仁天皇の皇后
 日葉酢媛命が崩御
 野見宿禰
 が
 埴輪を考案
 ↓↑
 誕生
 パウロキリスト教の伝道者
 『新約聖書』の著者の一人(~67年頃)
ー↓↑ーーー
 13年
 干支 癸酉
 日本
 垂仁天皇四十二年
 皇紀673年
 中国
 新 始建国五年
 朝鮮
 高句麗 瑠璃明王三十二年
 新羅 南解王十年
 百済 温祚王三十一年
 ↓↑
 アブガルス5世
 オスロエネ(エデッサ)王に復位
 ティベリウス
 ゲルマニアからローマに凱旋
 ストラボン
 地球の形状に関する本を出版
 オウィディウス
 Epistulae ex Pontoの1~3巻を出版
 ↓↑
 死去
 王政君=元帝(劉奭)の皇后(紀元前71年)
ー↓↑ーーー
 33年
 干支 癸巳
 日本
 垂仁天皇六十二年
 皇紀693年
 中国
 後漢 建武九年
 隗囂 漢復十一年・・・
 公孫述 龍興九年
 朝鮮
 高句麗 大武神王十六年
 新羅 儒理王十年
 百済 多婁王六年
 ↓↑
 ガルバ
 ローマ執政官
 ローマで金融危機
 ティベリウス
 貸付銀行設立
 ↓↑
 後漢
 建武九年
 光武帝
 隴西を平定
 隗囂
 病死
 八月
 その子
 隗純を追撃し
 来援した
 公孫述・・・
 の将
 田弇
 趙匡
 を撃破
 匈奴
 北部国境を襲撃
 対策として呉漢らを派遣
 百済
 多婁王
 初めて
 稲田(陸稲)を作らせる
 ↓↑
 死去
 十月十八日
 大アグリッピナ
 初代ローマ皇帝
 アウグストゥスの孫娘(紀元前14年)
ー↓↑ーーー
 133年
 干支 癸酉
 日本
 成務天皇三年
 皇紀793年
 中国
 後漢 陽嘉二年
 朝鮮
 高句麗 太祖王八十一年
 新羅 祇摩王二十二年
 百済 蓋婁王六年
ー↓↑ーーー
 233年
 干支 癸丑
 日本
 神功皇后摂政三十三年
 皇紀893年
 中国
 魏 太和七年、青龍元年
 蜀 建興十一年
 呉 嘉禾二年
 朝鮮
 高句麗 東川王七年
 新羅 助賁王四年
 百済 仇首王二十年
 ↓↑
 237~238~239
    卑弥呼 使者を魏に派遣
ー↓↑ーーー
 333年
 干支 癸巳
 日本
 仁徳天皇二十一年
 皇紀993年
 中国
 東晋 咸和八年
 後趙 建平四年
 成漢 玉衡二十三年
 前涼 建興二十一年(西晋元号を継続使用)
 代 烈皇帝(拓跋翳槐)五年
 朝鮮
 高句麗 故国原王三年
 百済 比流王三十年・・・比較、王の流れ
 新羅 訖解王二十四年
ー↓↑ーーー
 干支 癸酉
 日本
 允恭天皇二十二年
 皇紀1093年
 中国
 宋 元嘉十年
 北魏 延和二年
 北涼 義和三年、承和元年
 北燕 太興三年
 朝鮮
 高句麗 長寿王二十一年
 百済 毗有王七年
 新羅祇王十七年
ー↓↑ーーー
 1333年
 4月9日
 (正慶二年=元弘三年閏二月二十四日)
 後醍醐天皇
 配流先の
 隠岐を脱出して京へ向かう
 ↓↑
 1334年
 干支 甲戌
 日本
 元弘四年、建武元年一月二十九日~
 皇紀 1994年
 中国
 元 元統二年
 朝鮮
 高麗 忠粛王(重祚)三年
ー↓↑ーーー
 1333年
 干支 癸酉
 日本
 後醍醐天皇 元弘三年
 光厳天皇 正慶二年(五月二十五日まで)
 皇紀 1993年
 中国
 元 至順四年、元統元年十月八日~
 朝鮮
 高麗 忠粛王(重祚)二年
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 現存『古事記』の写本
 「伊勢本系統」の
 1371年
 南朝 建徳二年
 北朝 応安四年
 ~
 1372年
 南朝 文中元年
 北朝 応安五年
 真福寺の僧
 賢瑜によって写された
 真福寺本『古事記』三帖(国宝)
 奥書
 祖本は
 上・下巻が
 大中臣定世 本
 中巻が
 藤原通雅 本
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 道果本
 上巻の前半のみ
 南朝 弘和元年
 北朝 永徳元年
 1381年 写
 ↓↑
 道祥本
 上巻のみ
 応永三十一年
 1424年 写
 ↓↑
 春瑜本
 上巻のみ
 応永三十三年
 1426年 写
 ↓↑
 の
 道果本系
 三本は
 真福寺本に近く
 伊勢本系統
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 矢田部 公望
 (やたべ の きんもち)
 平安時代中期の官人・学者
 矢田部稲吉
 あるいは
 大内記
 矢田部名実
 の子
 官位
 外従五位下文章博士
 ↓↑
 延喜四年(904年)
 日本紀講筵に
 尚復として参加
 『日本書紀私記』の一つである
 『延喜公望私記』を著
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 左少史・権少外記を経て
 承平二年(932年)
 外従五位下・大外記に叙任
 承平3年(933年)
 阿波介・・・
 に任ぜられた
 承平6年(936年)
 日本紀講筵で
 文章博士として講師
 ↓↑
 『日本書紀私記』の一つである
 『延喜公望私記』は
 父
 または
 兄弟とされる
 矢田部名実
 の残した
 『元慶私記』に
 公望が自説を加えることで成立・・・
 散逸、逸文として
 『釈日本紀
 『和名抄』
 等に伝わっている
 『先代旧事本紀』の作者・・・
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 矢田部公望は
 「古事記」を
 編年体でないことで低く評価
 『先代旧事本紀』の方が
 より古い史書と主張・・・
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 不慮=思いがけないこと・不意・意外
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 度会 家行
 (わたらい いえゆき)
 康元元年(1256年)
 ~
 正平六年
 観応二年
 1351年・・・?
 伊勢神宮
 外宮(豊受大神宮)の神官
 伊勢神道の大成者
 没年は
 正平十七年
 貞治元年
 1362年・・・?
 という説もある・・・
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 ・・・???・・・怪しい「古事記・乞食・コジキ」・・・
 あず たい夢 ごゥす 唄(バイ)・・・