嫁鶏 随鶏(かけい ずいけい=家系 図 医系・異系)・・・?
2881日目・文字霊日記
「アメの訪問者」・・・「マルレーヌ・ジョベール」・・・
(フランス語原題 Le passager de la pluie
英題 Rider on the Rain)
↓↑
かさぶらんか=6~8月に咲くユリ・・・as time goes by
↓↑
「アンファ」は
・・・「案付蛙」?・・・「編む符蛙(ア・かえる)」・・・
暗怖鴉?
海賊の港だったが
ポルトガル(葡萄牙)に
「アンファ」が焼き払われ
カサブランカ(Casablanca・ad-dār al-bayḍāʼ)
笠(傘・嵩・暈・量・瘡・套・葢・加佐) 振らんか
↓↑ 化作部覧歌
「白い家」となった・・・笠 沙 御前
(かさ さ の みさき)
リュウ サ ゴゼン
笠 狭 ( かささ ) の岬
笠 紗 之 御前而
鷑 咲
鷑鳩
鷑鳩一名 鵧鷑郭 云小黑鳥 鳴自呼江東名為烏鵙
小さな黒い鳥
尾羽は長く、二股に分かれている
口、足、目は黒・巻き尾
若い鳥には白い模様のある灰色の腹
江東省ではカササギを「呉鳥」と呼んだ・・・
江東省での名は「武進・無錫」
呉秋の「巻き尾」・黒オマキザル
「ワシとクロウタドリを突き」
古代人は誤ってチドリ科の猛禽類だと思っていた
カラスより小さいが他の鳥に攻撃的に遂撃
・・・「カサブランカ(Casa Blanca)は6~8月に咲くユリ科の花」
↓↑
1515年
ポルトガル人によって町が再建
町を
「Casablanca」と名付けた
1755年
リスボン大地震後
ポルトガルは
カサブランカを撤退
1912年
モロッコは
フランスと保護領条約を締結
↓↑
カサ ブ ラン カは
笠・傘 歩・巫 乱・覧 科 ?
量 分 等無 化 ?
↓↑
フランスの保護領となった・・・
・・・Play it, Sam. Play 'As Time Goes By.・・・
「 as time goes by
アズ・タイム・ゴーズ・バイ
明日 他意ム 語得亠 唄 ?
as time goes by
(時の過ぎ行くままに?) 」
「Here's looking at you, kid.」
↓↑
「随」
「随時(ヅイジ・ズイジ)」
「成り行きにまかせる」
「その都度」
「毎時・毎回」
↓↑
「逐」
「逐時(チクジ)」
一定の期間ごと
毎時間・毎時
逐時経過・逐時観察
「逐次(チクジ)」
その都度、毎回
「逐字(チクジ)」
原文の文字を
一字一字追っていくこと
「逐語」
順を追って
次ぎ次ぎに行われるさま
順次
↓↑
「逐一(チクイチ)」
「一つ一つ順を追うこと」
「いちいち詳細に」
「逐」
「順を追って進む」
「逐撃」
↓↑
「都度」
「そのたびごとに」
「毎回」
↓↑
都=者+阝=都
耂+日+阝
都=者+阝
者+丶+阝
耂+日+丶+阝
ツ
ト
みやこ
すべて・・・都合
天子の宮城のある地
みやこする・都を定める
大きな町
みやびやか・上品で美しい
集まる・集める
統べる。
すべて=全て・みな=皆
ああ・感嘆の声
度=广+廿+又
廿=卄+-
廾(にじゅうあし・こまぬき)
ジュウ
にじゅう
二十・十の二倍
ド
タク
ト
たび
のり
はかる
めもり
わたる
ものさし
長さをはかるための基準
決まり・規則・法則
たび・回数
角度や温度などの
程度を示すもの
心の広さ・器の大きさ
度胸
わたす=渡
出家する・仏門にはいる
長さをはかる・みつもる
おしはかる・推測する
たい
「~したい」
と願い望む意の助動詞
↓↑ ↓↑
随時・・・隋時・隋字・隋児
随⇔髄・・・真髄・神髄・心髄・・・真瑞・信瑞
隨・・・・・蕊・蘂・ヅイ
随喜=ズイキ=芋茎
・・・糸瓜・天糸瓜(へちま)・瓜(うり)
絲瓜(シカ)
成熟した果実は強い繊維性の網状組織が発達
へちま水
去痰作用・咳止め効能
タワシ(束子)
芋茎=サトイモやハスイモなどの葉柄
↓↑
隋王朝
楊 堅(文帝)・・・文綴?
541年7月21日
~
604年8月13日
大運596年6月(54歳)~606年
己┏丑 偏官・
辛 酉(庚 辛)偏印・偏印 病⇔甲┏子
乙┏未(丁乙己)食神・偏官 墓⇔壬┗申
┏癸┗丑(癸辛己) ・偏官冠帯⇔丁┏未
┗戊┗午(丙 丁)正官・偏官 絶⇔
寅卯空亡
↓↑
隋の初代皇帝
在位
581年3月4日~604年8月13日
小名 那羅延
諡 文皇帝
廟号 高祖
父 楊忠
母 呂苦桃・・・呂の苦の桃(もも)
后妃 独孤皇后・・・父は独孤 信(どっこ しん、502年 - 557年)
西魏の匈奴系軍人・武川鎮軍閥の重鎮
娘たちはこの軍閥から出て
関隴集団系
拓跋国家を樹立した
宇文氏(北周)
楊氏(隋)
李氏(唐)
のいずれにも嫁いだ
本名は如願
字は期弥頭
本貫は雲中郡
第2代皇帝
煬帝の父
男子
廃太子 楊勇(房陵王)
晋王 楊広(煬帝)
・・・在位604年8月21日 ~618年4月11日
煬帝は唐王朝による追諡
名 楊広
別名 英
小字 「阿麼」・・・アマ・アメ
麼=麻+幺=麽=嚒
广+林+幺
广+木+木+幺
バ
マ
モ
かすか・小さい・細かい
か・や
疑問をあらわす助字
接尾語
疑問詞
などの後につけて語調を整える
么=幺
簒=簒奪・么=幺・・・公の丶が欠ける
纂=編纂・糸=幺+丿+亅+丶
「么=丿+ム=幺」≠「糸=幺+小」
秦王 楊俊・・・秦孝王
字は「阿祗」
祗=示+氐
礻+氐
示+氏+一
示+氏+丶
礻+氏+一
礻+氏+丶
シ
ただ
つつしむ・うやまう
ただ・まさに
限定の意
楊堅と
独孤伽羅・・・独孤 伽羅(から)
の間の子
蜀王 楊秀(庶民に落とされた)
漢王 楊諒(庶民に落とされた)
諒=言+京
言+亠+口+亅+ㇵ
女子
楽平公主 楊麗華(北周宣帝の皇后)
襄国公主(李長雅の妻)
広平公主(宇文静礼の妻)
蘭陵公主(字は阿五、柳述の妻)
阿悟、留述
柳=やなぎ=邪(耶)名義?
↓↑
楊堅
「那羅延」・・・ナラエン=「奈良」に「延」ばす?
延=廴+丿+止(卜丄)
という
鮮卑風の・・・鮮の卑
小字
を持っていた
楊氏
元々は
鮮卑
の出身で
本来の姓が
普六茹・・・普六茹(ふりくじょ)=鮮卑語の柳・楊
普(あまねし・フ・ホ)=並+日
六=亠+ㇵ=陸
茹(ゆでる・ジョ・ニョ)=艹+女+口
で
北魏の
漢化政策の際に付けられた姓が
楊
である・・・
↓↑
・・・隋王朝の時
・・・「俀王 姓 阿毎 字 多利思北孤 號 阿輩雞彌」
随=阝+迶=隨
阝+辶+有
阝+辶+ナ+月
隨=阝+辶+左+月
阝+辶+ナ+工+月
ズイ
したがう
ついていく・よりそう
成り行きにまかせる
易(エキ)の六十四卦の一
↓↑
迶=辶+有
辶+ナ+月
ユウ
歩くさま・行くさま
↓↑
有+α
賄・・・賄賂
鮪=まぐろ
郁=イク
かぐわしい
さかん
ふみ
香気漂ようさま
あたたかい
文化のさかんなさま
肴=さかな・酒菜・魚
・・・佐仮名 ?
差仮名 ?
宥=ユウ
なだめる
ゆるす
責めない・とがめない
大目にみる
気持ちをやわらげ静める
宥恕・宥免・宥和
恩宥・寛宥・赦宥
侑=ウ
ユウ
すすめる
たすける
むくいる
ゆるす
料理やお酒などをすすめる
かばってたすける=佑
お礼をする。
罪などをゆるす
囿=ユウ
その
苑(その)
鳥や動物などを放し飼いにする庭
畑・菜園
物事が多く集まっている所
とらわれる=因われる
こだわる・見識が狭い
陏=タ・ダ
ズイ
うり=瓜・うりの実
古代中国の地名
䳑=ユウ
あじ
鳥の名・きじ(雉)の類
あじ・あじがも
鳥の名・カモ科の鳥
ともえがもの古名
蛕=回虫(かいちゅう)
人や動物の消化器官の寄生虫
姷=女+ナ+月
栯=イク
栯李(いくり)=バラ科の落葉低木
庭梅(にわうめ)
㤢=心+有
戫=有+或
月+戈+口+一
イク・ヨク
模様が美しい・あやのあるさま
非常に速い
䨖=雨+有=霽=雨+齋
雨+月
サイ・セイ
はれる・空が晴れる
気持ちがすっきりする
䆜=穴+有
宀+八+月
賄=貝+有
貝+月
ワイ
カイ
まかなう
まいなう
宝・財貨
まいなう
まいない。贈り物。わいろ。
まかなう
食事の世話をする
きりもりする・やりくりする
痏=殴られるなどしてできた傷
酭=ユウ
報いる・杯する
酒食を相手に勧める
銪=ユウ
化学元素の一・ユウロピウム
龓=有+龍
有+龍+龙
ロウ・ル・イウ・ウ
↓↑
哊峟洧
烠珛絠
詴㤫㬼
䀁䒴䞥
䵋
↓↑
意到筆随
(いとうひつずい=伊藤比通随?)
文章を作るときに、思ったままに筆が進むこと
文章を書きたいと思う気持ちのままに筆が進む
「意至りて筆随う」とも
『春渚紀聞』「東坡事実・文章快意」
類義語 意到心髄(伊藤 真髄)
↓↑
嫁鶏随鶏
(かけいずいけい=家系図医系・異系?)
妻が夫に従うことのたとえ
雌の鶏が雄の鶏に従うという意味
「嫁鶏鶏に従う」とも
↓↑
管仲随馬
(かんちゅうずいば=漢注随話?)
聖人の知恵を借りること
昔の人の経験を尊重すること
「管仲」・・・管 夷吾(カンイゴ)
春秋時代の
「斉国」の政治家
・・・日本思想の原点=管仲?
桓公に仕え、覇者に 押し上げた
親友は「鮑叔」・・・アワビの叔父
叔=兄弟の三番目
年齢の順に上から「伯・仲・叔・季」
末の世
「随」は従う
春秋時代、名宰相の管仲は
戦いから帰るときに道に迷い
馬を放ち、馬の後についていくと
帰ることができた
「管仲馬に随う」とも
↓↑
銜尾相随
(かんびそうずい=完備総随?)
一列に連なって、切れ目なく進む様子
「銜尾」は後ろの馬が
前の馬の尾をくわえること
「相随」は前のものについていくこと
狭く険しい山道などで
前の馬の尾を後ろの馬が加え
一列になって
前についていくという意味
「銜尾相随う」とも
『漢書』「匈奴伝」
類義語 銜尾相属(巻尾相続?)
↓↑
形影相随
(けいえいそうずい=継泳・経営・桂栄総随?)
心の善悪が行動に出ること
「形影」は姿形と影
影は体の動きと
同じ動きをするということ
「形影相随う」とも
『列子』「説符」
↓↑
彩鳳随鴉
(さいほうずいあ=西法随蛙?)
女性が身分の劣る男性に嫁に行かされること
そのことに不満を持つこと
美しい鳳が
鴉に嫁ぐというたとえ
妻が夫のことをいい加減に扱うこと
劉将孫「沁園春」
↓↑
水随方円
(すいずいほうえん=推隋法縁?)
民の善悪は政治を行うものによって感化される
人は環境や人間関係次第で
善悪のどちらにも感化される
「随」は従うこと
「方円」は四角いものと円いもの
水は容器の形に従って
四角にでも円にでもなる
『韓非子』「外儲説・左上」
↓↑
随鴉彩鳳=彩鳳随鴉
(ずいあさいほう=随蛙西法?)
劉将孫「沁園春」
↓↑
随縁放曠
(ずいえんほうこう=隋援奉公?)
どんな因縁にも縛られることなく
気の向くまま自由に振舞うこと
因縁に任せて物事にこだわらず
のびのびとしていること
「随縁」は縁に従って物が生まれて変化すること
「放曠」はなにものにも縛られず心が自由なこと
↓↑
意到りて筆随う
(いいたりてふでしたがう)
思いのままに筆が動いて文章が書けること
自分が書く気になれば
筆がひとりでに随ってくるという意
『春渚紀聞』
↓↑
影の形に随うが如し
(かげのかたちにしたがうがごとし)
いつもいっしょにいて離れないこと
↓↑
随徳寺をきめる
(ずいとくじをきめる)
後先かまわずに一目散に逃げ出すこと
「ずいと出て行く」をしゃれで
寺の名に仕立てた
「一目散」を山号になぞらえて
「一目山隋徳寺」とも
↓↑
善悪の報いは影の形に随うが如し
(ぜんあくのむくいは
かげのかたちにしたがうがごとし)
↓↑
水は方円の器に随う
(みずはほうえんのうつわにしたがう)
ーー↓↑ーー
紀元前333年
ローマ暦年
ローマ建国
紀元421年
干支 戊子
日本
皇紀328年
孝安天皇六十年
中国
周=顕王三十六年
秦=恵文君五年
楚=威王七年
斉=威王二十四年
燕=文公二十九年
趙=粛侯十七年
魏=恵王後元二年
韓=昭侯三十年
↓↑
マケドニア王国
アレクサンドロス3世
小アジア西部を攻撃
リュキア
ピシディア
を征服
↓↑
アケメネス朝
ペルシア
ダレイオス3世
ペルシアに亡命していた
ギリシア人傭兵隊長
カリデーモスを
イッソスの戦いへの準備をしたとし処刑
↓↑
アレクサンドロス3世
キリキアでの
イッソスの戦いで
ペルシア軍に大勝
ダレイオス3世は
妻
2人の娘
母の
シシュガンビス
多くの財宝を残して逃亡
家族は
アレクサンドロス3世
に捕らえられたが、厚遇
↓↑
アレクサンドロス3世
将軍ネアルコスを
新しく得た
リュキア
パンフィリアの
サトラップに
将軍
アンティゴノス1世を
フリギアの
サトラップにした
↓↑
ペルシア軍を拠点から孤立させるため
イッソスから南の
シリアとフェニキア
まで進軍
ビブロス
サイダ
を得ると
ティルス
を包囲攻撃
ダレイオス3世からの
和平を求める手紙の返事として
アレクサンドロス3世は
ダレイオス3世の
無条件降伏を要求
↓↑
中国
楚が
斉を攻撃
斉軍を破り
徐州を包囲
斉の
田嬰が
張丑を派遣し
楚の
威王を説得すると
楚は軍を返した
ー↓↑ーーー
紀元前133年
干支 戊申
日本
開化天皇二十五年
皇紀528年
中国
前漢 元光二年
↓↑
ローマ
執政官
ルキウス・カルプルニウス・ピソ・フルギ
と
プブリウス・ムキウス・スカエウォラ
ヌマンティア戦争
スキピオ・アエミリアヌス
率いるローマ軍により
ヌマンティアが陥落
ティベリウス・グラックスが
護民官
無産市民救済のための
「センプロニウス農地法」を提出
元老院支持者によって殺害
ティベリウスの死を契機に
ローマは
「内乱の一世紀」へ突入
アッタロス朝
(ペルガモン王国)の
国王アッタロス3世が死去
遺言により
王国がローマへ遺贈
↓↑
中国
六月
李広
らが率いる30万の前漢軍が
朔州で
匈奴軍を迎撃した
(馬邑の役)
ー↓↑ーーー
紀元前33年
干支 戊子
日本
崇神天皇六十五年
皇紀628年
中国
前漢 竟寧元年
朝鮮
高句麗 東明聖王五年
新羅 赫居世二十五年
檀紀2301年
仏滅紀元 511年
↓↑
アレクサンダー・ヘリオスが
メディア王国の
イオタパ姫と結婚
アウグストゥスが
2度目の執政官
もう1人は
ルキウス・ウォルカキウス・トゥッルス
ー↓↑ーーー
紀元前3年
干支 戊午
日本
垂仁天皇二十七年
皇紀658年
中国
前漢 建平四年
朝鮮
高句麗 瑠璃明王十七年
新羅 赫居世五十五年
百済 温祚王十六年
↓↑
前漢建平四年、正月
大規模旱害
西王母騒動
民衆は
西王母を祀り踊り
各地に伝わり
秋に収束
ー↓↑ーーー
3年
干支 癸亥
日本
垂仁天皇三十二年
皇紀663年
中国
前漢 元始三年
朝鮮
高句麗 瑠璃明王二十二年
新羅 赫居世六十年
百済 温祚王二十一年
↓↑
前漢元始三年
王莽
礼制・学制の改革開始
帝舅衛氏
何武・・・何の武?
鮑宣
の漢の忠臣を殺害
↓↑
高句麗
瑠璃明王
卒本城から
丸都城に遷都
↓↑
垂仁天皇の皇后
日葉酢媛命が崩御
野見宿禰
が
埴輪を考案
↓↑
誕生
パウロ、キリスト教の伝道者
『新約聖書』の著者の一人(~67年頃)
ー↓↑ーーー
13年
干支 癸酉
日本
垂仁天皇四十二年
皇紀673年
中国
新 始建国五年
朝鮮
高句麗 瑠璃明王三十二年
新羅 南解王十年
百済 温祚王三十一年
↓↑
アブガルス5世
オスロエネ(エデッサ)王に復位
ティベリウス
ゲルマニアからローマに凱旋
ストラボン
地球の形状に関する本を出版
オウィディウス
Epistulae ex Pontoの1~3巻を出版
↓↑
死去
王政君=元帝(劉奭)の皇后(紀元前71年)
ー↓↑ーーー
33年
干支 癸巳
日本
垂仁天皇六十二年
皇紀693年
中国
後漢 建武九年
隗囂 漢復十一年・・・
公孫述 龍興九年
朝鮮
高句麗 大武神王十六年
新羅 儒理王十年
百済 多婁王六年
↓↑
ガルバ
ローマ執政官
ローマで金融危機
ティベリウス帝
貸付銀行設立
↓↑
後漢
建武九年
光武帝
隴西を平定
隗囂
病死
八月
その子
隗純を追撃し
来援した
公孫述・・・
の将
田弇
趙匡
を撃破
匈奴が
北部国境を襲撃
対策として呉漢らを派遣
百済
多婁王
初めて
稲田(陸稲)を作らせる
↓↑
死去
十月十八日
大アグリッピナ
初代ローマ皇帝
アウグストゥスの孫娘(紀元前14年)
ー↓↑ーーー
133年
干支 癸酉
日本
成務天皇三年
皇紀793年
中国
後漢 陽嘉二年
朝鮮
高句麗 太祖王八十一年
新羅 祇摩王二十二年
百済 蓋婁王六年
ー↓↑ーーー
233年
干支 癸丑
日本
神功皇后摂政三十三年
皇紀893年
中国
魏 太和七年、青龍元年
蜀 建興十一年
呉 嘉禾二年
朝鮮
高句麗 東川王七年
新羅 助賁王四年
百済 仇首王二十年
↓↑
237~238~239
卑弥呼 使者を魏に派遣
ー↓↑ーーー
333年
干支 癸巳
日本
仁徳天皇二十一年
皇紀993年
中国
東晋 咸和八年
後趙 建平四年
成漢 玉衡二十三年
前涼 建興二十一年(西晋元号を継続使用)
代 烈皇帝(拓跋翳槐)五年
朝鮮
高句麗 故国原王三年
百済 比流王三十年・・・比較、王の流れ
新羅 訖解王二十四年
ー↓↑ーーー
干支 癸酉
日本
允恭天皇二十二年
皇紀1093年
中国
宋 元嘉十年
北魏 延和二年
北涼 義和三年、承和元年
北燕 太興三年
朝鮮
高句麗 長寿王二十一年
百済 毗有王七年
新羅 訥祇王十七年
ー↓↑ーーー
1333年
4月9日
(正慶二年=元弘三年閏二月二十四日)
後醍醐天皇
配流先の
隠岐を脱出して京へ向かう
↓↑
1334年
干支 甲戌
日本
元弘四年、建武元年一月二十九日~
皇紀 1994年
中国
元 元統二年
朝鮮
高麗 忠粛王(重祚)三年
ー↓↑ーーー
1333年
干支 癸酉
日本
後醍醐天皇 元弘三年
光厳天皇 正慶二年(五月二十五日まで)
皇紀 1993年
中国
元 至順四年、元統元年十月八日~
朝鮮
高麗 忠粛王(重祚)二年
ー↓↑ーーーー
現存『古事記』の写本
「伊勢本系統」の
1371年
南朝 建徳二年
北朝 応安四年
~
1372年
南朝 文中元年
北朝 応安五年
真福寺の僧
賢瑜によって写された
真福寺本『古事記』三帖(国宝)
奥書
祖本は
上・下巻が
大中臣定世 本
中巻が
藤原通雅 本
↓↑
道果本
上巻の前半のみ
南朝 弘和元年
北朝 永徳元年
1381年 写
↓↑
道祥本
上巻のみ
応永三十一年
1424年 写
↓↑
春瑜本
上巻のみ
応永三十三年
1426年 写
↓↑
の
道果本系
三本は
真福寺本に近く
伊勢本系統
↓↑
矢田部 公望
(やたべ の きんもち)
平安時代中期の官人・学者
矢田部稲吉
あるいは
大内記
矢田部名実
の子
官位
外従五位下・文章博士
↓↑
延喜四年(904年)
日本紀講筵に
尚復として参加
『日本書紀私記』の一つである
『延喜公望私記』を著
↓↑
左少史・権少外記を経て
承平二年(932年)
外従五位下・大外記に叙任
承平3年(933年)
阿波介・・・
に任ぜられた
承平6年(936年)
日本紀講筵で
文章博士として講師
↓↑
『日本書紀私記』の一つである
『延喜公望私記』は
父
または
兄弟とされる
矢田部名実
の残した
『元慶私記』に
公望が自説を加えることで成立・・・
散逸、逸文として
『釈日本紀』
『和名抄』
等に伝わっている
『先代旧事本紀』の作者・・・
↓↑
矢田部公望は
「古事記」を
編年体でないことで低く評価
『先代旧事本紀』の方が
より古い史書と主張・・・
↓↑
不慮=思いがけないこと・不意・意外
↓↑
度会 家行
(わたらい いえゆき)
康元元年(1256年)
~
正平六年
観応二年
1351年・・・?
伊勢神宮の
外宮(豊受大神宮)の神官
伊勢神道の大成者
没年は
正平十七年
貞治元年
1362年・・・?
という説もある・・・
ーーーーー
・・・???・・・怪しい「古事記・乞食・コジキ」・・・
あず たい夢 ごゥす 唄(バイ)・・・