2668日目・・・「光緒帝(コウチョテイ)=清の第十一代皇帝(在位1875年〜1908年)・諱は載湉」・・・時代は回る(循環する)・・・ 湉=氵+恬(忄舌)・・・水は心の舌(千の口)?

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 馬建忠・・・馬(うま)の・・・・馬子=宇摩子・・・孫(まご)
 ↓↑    建(たける)の・・・倭建
                「建皇子・建王」は
                 話すことが不自由で夭折・・・?
       忠(中心・心中)・・中臣鎌足(鎌子)
                 忠義・忠信・忠臣
                 中大兄皇子天智天皇
                 葛城皇子=天命開別尊
       蘇我-倉山田-石川麻呂の娘(遠智娘)
       と
       天智天皇の息子が
      「建皇子・建王」
 ↓↑    ↓↑ ↓↑    ↓↑
       斉明天皇四年(658年)五月条
       斉明天皇の皇孫、「建王は八才で薨去」・・・八=捌
 ↓↑    ↓↑ ↓↑    ↓↑
       今城なる 小丘が上に・・・いまきなる をむれがうへに
                 今来    於牟礼 上
       雲だにも 著くし立たば・・くもだにも しるくしたたば
                 句摸    知る句詞多他葉
       何か歎かむ・・・・・・・・なにかなげかむ
                 名似仮名解化務
 ↓↑    ↓↑
       射ゆ鹿猪を 認ぐ川上の・・いゆししを つなぐかはへの
                 言う詩誌  繋ぐ化話経之
       若草の 若くありきと・・・わかくさの わかくありきと
                 和歌句差之
       吾が思はなくに・・・・・・あがもはなくに
                 阿賀摸葉名句似
 ↓↑    ↓↑
       飛鳥川 漲らひつつ・・・・あすかがは みなぎらひつつ
       行く水の 間も無くも・・・ゆくみづの あひだもなくも
       思ほゆるかも・・・・・・・おもほゆるかも
 ↓↑    ↓↑
       同年十月条
       斉明天皇
       紀温湯(和歌山県-白浜町-湯崎温泉)で
       建王を追憶、歌三首を詠んだ
 ↓↑    ↓↑
       山越えて 海渡るとも・・・やまこえて うみわたるとも
       おもしろき 今城の内は・・おもしろき いまきのうちは
                       今来
       忘らゆましじ・・・・・・・わすらゆましじ
               和州等諭真詞字
 ↓↑    ↓↑
       水門の 潮のくだり・・・・みなとの うしほのくだり
       海くだり 後も暗に・・・・うなくだり うしろもくれに
       置きてか行かむ・・・・・・おきてかゆかむ
 ↓↑    ↓↑
       愛しき 吾が若き子を・・・うつくしき あがわかきこを
       置きてか行かむ・・・・・・おきてかゆかむ
 ↓↑    ↓↑
 馬建忠・・・?
 (バ ケンチュウ・Ma Jianzhong)
 1845年2月9日〜1900年8月14日
 乙巳(戊 庚 丙)比肩正財沐浴⇔庚子
 戊寅(戊 丙 甲)正財正財帝旺⇔甲申
 乙丑(癸 辛 己)  偏印 衰⇔己未
  戌亥=空亡
 ↓↑
 清末の思想家・外交官・言語学者
 フランスに留学
 帰国後
 李鴻章(りこうしよう)の幕僚
 外交問題に敏腕を振るい
 洋務派の理論家
 「適可斎記言」著作
 ↓↑・・適、可斎記の言
     適=辶+啇=辵+啇
     異体字「适」
       かなう・ゆく・たまたま
       ふさわしい・あてはまる
       テキ・セキ
       適帰・適従
       ぴったり当てはまる
       適応・適正・適宜・適正・適性・適切
       適度・適当・適用・快適・好適・最適
       自適・清適・不適・適合
       心にかなう(叶う・敵う・適う・仮名得)
 ↓↑    啇=亠+八+冂+古
         もと・ねもと・やわらぐ・テキ・チャク・セキ
       異体字「摘・啻」
       啇⇔帝・啻(啇)・嫡・適・敵
           啻=帝+口
           通仮字「翅・適」
           語時、
           啻(ただ)ならざるなり、
           口に従ひ、帝を聲(こえ)とす、
           一に曰く、啻は?(シ)なり、
           讀みて鞮(テイ)の若(ごと)くす
           ?=言+是=ただす・シ・ジ・テイ・タイ
           鞮=革+是=かわぐし・かわぐつ
                 シ・ジ・テイ・タイ
           蒂=艸+帝=へた(蔕)・ほぞ(臍=月+斉)
                 テイ・タイ
             蔕・𧀱=艹+亠+八+冖+巾=蒂
             果実の萼(がく)
 ↓↑        ↓↑ ↓↑
           締(しめる)
           諦(あきらめる)
           啼(なく)
           蹄=ひづめ=足+帝
           帝=祭卓の形・神に供える酒食を載せる台
             天帝を祭る祭卓を帝
             帝を祀る身分の人を嫡(巫女)
 ↓↑
 字は眉叔(ビシュク)
 丹徒(タント)、江蘇省-鎮江出身
 淮軍(ワイグン)糧台を務め
 光緒四年(1878年
 フランス留学
 駐仏公使
 郭嵩蝱
 の通訳
 バカロレア (フランスの中等教育修了レベルの国家資格)
 パリ政治学院で法学の学位
 ↓↑
 光緒六年(1880年
 天津で
 李鴻章の洋務運動を推進
 光緒七年(1881年
 アヘン(阿片・鴉片)専売と
 税収問題の解決のため
 イギリス領インド帝国に派遣
    ・・・「諳厄里亜(アングリア)」=イギリス
       「応帝亜(インディア)」=インド
        と当て字して読ませた
 光緒八年(1882年)
 李鴻章により朝鮮に派遣され
 朝鮮と
 イギリス・アメリカ・ドイツ
 との通商条約締結を推進(米朝修好通商条約など)
 壬午事変が発生し
 興宣大院君の連行にかかわった
 光緒十年(1884年
 唐廷枢が管理する
 輪船商招局に入り
 光緒十六年(1890年)
 対外貿易の発展と
 民間産業の振興を説いた
 「富民説」を著
 李鴻章から
 上海機器職布局総裁に任命されるも
 経営難から辞職、故郷へ引退
 光緒二十一年(1895年)
 李鴻章に北京に呼ばれ
 日清戦争講和条約を結ぶために
 日本に赴く
 李鴻章を補佐
 光緒二十二年(1896年)
 上海で
 『時務報』主筆
 梁啓超
 を知り
 『適可斎記言記行』を著作
 光緒二十六年(1898年)
 中国語の文法書
 『文通(馬氏文通)』を著し出版
 光緒二十八年(1900年)
 李鴻章から呼び戻されたが
 死去
 ↓↑
 兄弟
 馬建稃・・・次兄
   ・・・馬(うま)を
   ・・・建(た)てる
      稃(いさお)
   ・・・稃=員(口目八)+力=異体字「勋・勳・勲・𠢋」
       =いさお・クン
        員=かず・イン
          円い鼎の形・・・?
          人や物の数・員外・員数
          係の人・所属する人・委員・随員
 ↓↑     ↓↑
          はば・まわり
          幅員(フクイン)=道路・橋・船などの、はば
        員石=かずいし=日本人名前の読み
        ↓↑ 一石、計石、主石、寿石、重石
           数石、万石、量石、和石
 ↓↑     ↓石=いし・いわ・セキ
           石=いわ=磐・岩・巖・違和・伊和・委倭
                磐余彦=神武天皇
           質量の単位
           一石=2.5俵・米の重さの150キロ
          「四鈞為一石(4鈞で1石を為す・淮南子)」
                 1鈞は30斤・1石は120斤
           日本の石高
           1石(こく)
           10斗(100升)(150kg)
            1斗=10升(約15kg)
 ↓↑     ↓↑
          「一石(イッセキ)二鳥」
        ↓↑ (投擲の一石を投じ二鳥を得る)
        隕石=インセキ
 ↓↑     ↓↑
          人員
          委員・会員・各員・客員・議員・欠員
          雇員・冗員・剰員      
        勳=熏+力
          熏=鄢(黒)+屮
          火で焙煎した煤や煙が籠もる様子
          薫(かおる)、燻(いぶす)の原字
 ↓↑    ↓↑
 馬相伯・・・長兄
       教育家
       建常・・・建の常、馬の相、伯(人の白=曰=いわく)
       後に良と改名
       字は相伯、湘伯、薌伯
       晩号は
       華封老人・・・華に封ぜられた老の人
       クリスチャンネームは「ヨセフ」?
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 清王朝
 在位期間 1875年2月25日〜1908年11月14日
 姓・諱 愛新覚羅載湉・・・湉=テン・デン=氵+忄+舌
          恬湉・澶湉=川の水が波立たず
                静かに流れるさま
    (アイシンギョロ・ヅァイティヤン
     aisin gioro   dzai tiyan)
 諡号 景皇帝
    同天崇運大中至正経文緯武仁孝睿智端倹?勤景皇帝
 廟号 徳宗
 同治10年6月28日〜光緒34年10月21日
 (1871年8月14日〜       1908年11月14日)
 辛未(丁 乙 己)偏財比肩冠帯⇔戊申
 丙申(戊 壬 庚)劫財傷官沐浴⇔癸亥
 丁亥(戊 甲 壬)  傷官 胎⇔癸酉
  午未=空亡
 ↓↑
 父 醇親王奕譞
 母 葉赫那拉氏(西太后妹)
 后妃 孝定景皇后(隆裕皇太后、葉赫那拉氏、西太后姪)
 陵墓 崇陵
 年号 光緒 (1875年〜1908年)
 ↓↑
 道光帝の第七子の
 醇親王奕譞の第二子
 母は西太后の妹
 従兄の
 同治帝が早世した後・・・同字綴?
 伯母の
 西太后
 によって擁立され
 即位三歳
 ↓↑
 同治十年(1871年
 ヤクブ・ベクの乱が
 新疆で勃発最中
 ロシアの
 イリ占拠・・・イリ王朝=第10代の崇神天皇
        ワケ王朝=第16代の仁徳天皇
       ヲホド王朝=第26代の継体天皇
             を初代とする3王朝の興廃
        ・・・ネコ王朝は存在する・・・?
 ↓↑    ↓↑ ↓↑    ↓↑
        イリ=中央アジアの地名 (Ili, ile)
        イリ地方・イリ川・イリ
        カザフ自治州・グルジャ市の別名
        天山山脈を源とし西流するイリ川の流域
        トルコ系あるいはモンゴル系の
        諸遊牧民族の根拠地
        「伊犂」とも・・・
        韓国全羅北道の地名 (Iri)=裡里市
        チェコの男性名(イジー
        Jiří
        イリ・シュタイネル
        イリ・ナスターゼ
        アルバニアの男性名 (Igli)
        イリ・ターレ
 光緒元年(1875年)
 日本の朝鮮の干渉(江華島事件
 光緒五年(1879年)
 日本の琉球併合(琉球処分
 光緒十一年(1885年)
 清仏戦争
 ベトナムへの影響力喪失
 西太后
 李鴻章
 左宗棠
 らによる
 洋務運動で清の経済・技術発展が進められ
 新疆は
 光緒三年(1877年)
 までに
 左宗棠に平定
 光緒七年(1881年
 イリ条約で
 イリはロシアから返還
 李鴻章
 光緒八年(1882年)
 壬午事変
 光緒十年(1884年
 甲申政変を経て
 光緒十一年
 天津条約
 光緒十三年(1887年)
 光緒帝は16歳
 西太后から政権を委譲され
 彼女の指導で政治を行う訓政
 光緒十五年(1889年)
 結婚し正式に親政開始
 ↓↑
 翁同龢
 李鴻藻
 ら側近が
 光緒帝に接近し派閥が結成
 西太后
 李鴻章
 らと対立
 光緒二十年(1894年)
 日清戦争敗北
 李鴻章の淮軍・北洋艦隊壊滅
 光緒二十一年(1895年)
 下関条約で朝鮮への影響力喪失
 日清戦争
 李鴻章を罷免
 康有為
 梁啓超
 らによる
 変法運動への関心を示し
 西太后の傀儡から脱し
 自らの親政により
 清の中興を
 光緒二十四年(1898年)
 体制の抜本的な改革を宣言した
 (戊戌の変法)
 急進的な改革に宮廷は混乱
 保守派の期待は西太后へ集まる
 変法派の一部が西太后の幽閉を計画
 当初変法派に同調していた
 袁世凱
 変法派を裏切り
 計画を西太后の側近
 栄禄に密告
 西太后は先手を打ってクーデターを起こし
 光緒帝を監禁し、変法派を弾圧(戊戌の政変)
 西太后は光緒帝の廃位を考え
 光緒帝の従甥で自らの大甥の
 端郡王
 載漪の子
 溥儁を大阿哥(皇太子)に立てたが
 列強の反対にあい
 光緒帝の廃位は断念
 ↓↑
 光緒二十六年(1900年)
 義和団の乱が勃発
 8ヶ国連合軍が北京に迫り
 西太后に連れられて
 西安まで落ち延びた
 その際に光緒帝の側室
 珍妃が西太后の命により井戸に投げ込まれて殺害
 西太后の命令で復帰した
 李鴻章と列強の交渉で
 光緒二十七年(1901年)
 辛丑和約を締結
 事件の処分は直接首謀者だけに限られ
 実権は西太后が握り続け
 西太后の主導で、
 かつての「戊戌の変法」と
 同じ路線の近代化改革である光緒新政を展開
 光緒帝は終始西太后の傀儡・・・
 ↓↑
 光緒三十四年(1908年)10月21日
 崩御
 翌日の
 10月22日に西太后も死去
 西太后の遺言で甥の
 溥儀が
 宣統帝として即位
 実父で光緒帝の弟の
 醇親王
 載灃
 が政権を委ねられたが
 清は
 宣統三年〜四年(1911年〜1912年)
 「辛亥革命」で滅亡
ーーーーー
 「同音の漢字による書きかえ
  出典: フリー百科事典
  『ウィキペディアWikipedia)』」
 ↓↑ ↓↑ ↓↑
   しま=揣摩=あてずいりょう=揣摩憶測
当(當)て推量(あてずいりょう)=当素法・当寸法
       充て隋 漁
       宛て随 猟
           瑞 陵
           湍・猯・惴・遄・腨
           揣=扌+耑
           喘=口+耑(ゼン)
           瑞=王+耑
             しるし・めでたい・みず
             めでたいしるし
             瑞雲・瑞験・瑞典瑞西スウェーデン
             よろこばしい
             瑞雨
             みず・みずみずしい
             瑞穂
             瑞皐=高野長英
             瑞典瑞西
               =Sverige(スヴェーリエ)
         陵=おか・みささぎ・リョウ
         凌=しのぐ・リョウ
凌駕・凌雲
         リョウ=了・令・両・㚑・灵・两・伶・良・苓
             兩・䑠・亮・悢・釕・凉・倆・凌・竜
             料・羚・翏・惊・㥄・掕・掚・聊・聆
             崚・猟・陵・涼・掠・梁・菱・棱・脼
             晾・喨・椋・量・祾・碐・睖・粮・粱
             裲・輌・楞・稜・鄝
       当=⺌+彐
       當=⺌+冖+口+田
       異体字「当・當・儅・噹・裆・襠・𡭠・𤱭」
       繁体字「噹・當」
       档=あたる=檔
        =格子になった書類戸棚・机の横木
         反りやすく、もろい低質の木材
         梟首の木
         档案=明清朝以降の官庁の公文書
            木札に文字を記し
            保存に際しひもで貫いて
            壁にかけておいた形が
            檔(かまち)に似ていることからいう・檔子
            国民管理を目的に作成される
            個人の経歴、履歴のファイル
 ↓↑ ↓↑ ↓↑ ↓↑ ↓↑ ↓↑ ↓↑ ↓
       当用漢字=1946年(昭和21年)11月5日
       国語審議会が答申し
       11月16日に内閣が告示した
      「当用漢字表」に掲載された
       1850の漢字
 ↓↑ ↓↑ ↓↑ ↓↑
 政府は,昭和56年10月1日,
 内閣告示第1号をもつて
 「常用漢字表」を告示し,
 一般の社会生活において
 現代の国語を書き表すための
 漢字使用の目安を定め
 国の各行政機関に対しては,
 内閣訓令第1号
 「常用漢字表」の実施について」を発し,
 「常用漢字表」を公用文における
 漢字使用の
 目安とすることになりました。
 これを受けて,国の各行政機関においては,
 常用漢字表の実施に関して,
 公用文における
 漢字使用等の
 具体的な取扱い方針について
 別添資料のとおり取決めがありました。
 ↓↑
 本県(茨城県)においても,
 昭和56年
 茨城県
 訓令第26号をもつて
 茨城県
 文書管理規程を改正し,
 この内閣告示を
 適用することになりました。
 ついては,
 国の各行政機関による
 公用文における
 漢字使用等の
 一連の取扱い方針の趣旨を尊重し,
 今後,公用文の作成に当たつては,
 下記のとおり取り扱うことにしましたので,
 その旨を
 貴所属職員に周知徹底させるよう
 御配意願います。
 なお,
 公用文の書き方については,
 特に書式が指定されているものを除き,
 「茨城県文書管理規程別表第1公文の用例」,
 「文書事務の手引」によることにしましたので,
 併せて貴所属職員に周知願います。
 ↓↑
 おつて,
 「公文書の書き方について」
 (昭和28年4月10日文発第33号総務部長通達)
 「当用漢字」の補正について」
 (昭和29年4月2日文収第22号総務部長通知)
 「文書の
  左横書きの実施について」
 (昭和35年2月1日35文発第1号)
 「公用文における
  当用漢字の
  音訓使用
  及び
  送り仮名の付け方の実施について」
 (昭和49年4月2日文第47号総務部長通達)
  及び
 「法令用語の改善について」
 (昭和29年11月22日文発第31号総務部長通達)
 は廃止・・・
 ↓↑ ↓↑ ↓↑ ↓↑
    しま=揣摩=あてずいりょう=揣摩憶測
      =あれこれ推量する・あれこれ吟味する
       揣摩の術・・・読心術・・・Mind reading
              読唇術=Lip-reading=読話術
       SKの嘘の根拠は鷽・獺?・・・
       命を賭けた自己保身・・・?
       独裁南北半島からの逃げ場はジャポンしかない・・・
       北方四島での災害を救助してくれるのジャポンしかない
       日本人は
       半島人の命も、露西亜人の命も、中国人の命も
       東南アジアの植民地の現地人の命も
      「人間」として救った・・・?
      =conjectures and surmises
       speculation
       giving one's imagination
 ↓↑ ↓↑ ↓↑ ↓↑
 ?? ?? ?? ??・・・??